二度目の塩

宮地咲良の前で、肉じゃがのじゃがいもが一つ、箸の先から崩れた。

恋人が作った夕食だった。煮汁は濃い色をしているが、見た目だけならいつも通りだ。咲良が一口含むと、塩気が舌の両側へ刺さり、ほろほろのじゃがいもが水分を奪うようにほどけた。小鉢は持ち上げると熱かった。

「塩、二回入れたかも」

恋人は向かいに座ったまま、箸を持っていない。テーブルの端には、式場から届いた見積書が伏せてある。来週までに申込金を払えば、秋の土曜日を押さえられる。

咲良が言えずにいるのは、結婚したくないということではなかった。子どもを持ちたくないのだ。恋人は式場見学の帰り、子ども部屋にできそうな間取りを楽しそうに眺めた。親へ渡すパンフレットにも、家族が増えても安心という欄へ丸をつけた。咲良はその横で笑い、「いつかね」と答えた。

二人で老いる想像はできる。病気のときに付き添い、休日に同じ洗濯物を畳む暮らしも欲しい。ただ、その未来を話すたび、子どもだけが当然の家具のように置かれた。欲しくないと言えば、恋人の望みを奪う。黙れば、選ぶ時間を奪う。どちらも怖くて、式場の予約だけが先へ進んだ。

いつかは気が変わるかもしれない。結婚してから話しても遅くないかもしれない。母にも「産めば分かる」と言われた。そう考えるたび、自分の沈黙が相手の未来を勝手に予約している気がした。今夜こそ話すつもりで帰ったのに、見積書の隣に肉じゃがが置かれると、また食べ終わるまで延ばそうとした。

恋人が水を足そうと鍋へ手を伸ばした。

咲良は首を振り、自分の小鉢から半分を鍋へ戻した。残したのではない。食べられるふりをやめるためだった。小鉢に残った二切れを、塩辛いままゆっくり食べた。

最後のひとかけを箸で割る。片方だけを口へ運び、もう片方を小鉢の中央へ置いた。その隣に婚約指輪を外して置くと、恋人の指がわずかに動いた。

「別れたいんじゃない」

咲良は熱い小鉢を両手で持ったまま言った。

「この半分を、なかったことにして結婚したくない」

恋人はすぐには答えず、見積書を裏返し、申込期限の欄へ線を引いた。次に、鍋へ戻された半分を保存容器へ移した。捨てるのでも、薄めて同じ味へ戻すのでもなかった。

答えはまだ出ていない。指輪も小鉢の横にある。それでも咲良は、残したひとかけを無理に飲み込まなかった。塩を足す前の二人へ戻ったふりではなく、違う味を望んでいる二人として、明日もう一度鍋を開ければよかった。