二段目の長靴
玲央は、父から送られてきた「台風が来る。手を貸せ」という短いメッセージに負けて、半年ぶりに実家へ戻った。
実家と呼ぶには、玄関の匂いが変わりすぎていた。父の再婚相手、柚子が選んだ柑橘の芳香剤。見覚えのない傘。靴箱の上には、二人で旅行したらしい写真がある。
父は自治会の土嚢作りに出ていた。柚子は組み立て途中のスチール棚を前に、説明書を逆さに持っていた。
「外の鉢を入れたいの。手伝ってくれる?」
玲央は返事の代わりに六角レンチを取った。
棚は玄関脇に置くには幅が三センチ大きかった。柚子は「切れば入る」と簡単に言い、玲央は「賃貸じゃないけど壁を削るな」と止めた。二人で棚板の向きを変え、脚にゴムを噛ませ、斜めだった床に合わせた。
柚子は工具の扱いがひどく不器用だった。ネジを二度落とし、一度は棚板を自分の足に倒しかけた。玲央が支えると、彼女は笑った。
「お父さんより頼りになる」
「比べる相手が低すぎる」
「それはそう」
思わず返した言葉が自然すぎて、玲央は黙った。
母が出ていったあと、父とは必要な連絡しかしていない。その父が五十を過ぎて再婚したと聞いたとき、自分の席を勝手に片づけられた気がした。だから結婚式にも出なかった。
棚が完成すると、柚子は鉢植えを一番上に置いた。二段目には折り畳み傘、三段目には防災用の水。玲央が工具を片づけようとすると、彼女は奥から泥のついた長靴を持ってきた。
「これ、捨ててなかったのか」
高校時代、川の清掃で使ったものだった。
「サイズが大きいから、お父さんのかと思って洗ったら、違うって」
柚子は二段目の半分を空け、そこへ長靴を置いた。
「雨のとき、ここにあると便利でしょう」
誰に便利なのかは言わなかった。
風が強まり、玄関扉が低く鳴った。玲央は帰るつもりだったが、棚の脚がまだ一つ浮いているのが気になった。
「薄い板、どこ」
「物置。鍵は靴箱の裏」
柚子が台所へタオルを取りに行く。玲央は靴箱の裏から鍵を出し、長靴の隣に自分のスニーカーを並べた。
台風が過ぎるまで、という理由なら、今夜ここにいてもよかった。