二百円の寄り道
給料日まであと四日。由芽の財布には、千円札が一枚と、百円玉が三枚、十円玉が二枚入っていた。
駅の改札を出ると、パン屋から焼きたての匂いが流れてきた。いつもなら素通りできる。けれど今日は、午後の会議が長引き、上司に修正を三度戻され、昼に食べたおにぎりも一個だけだった。
ショーケースの塩パンは二百十円。チョコクロワッサンは二百八十円。由芽は値札を見ながら、頭の中で残りの日数を割った。買える。けれど買えば、明日の自分が少し困る。
スマホには友人の塔子から「今日どうだった?」と来ていた。通知は一時間前。返事を考える力がなくて、そのまま未読にしてある。うまくいかなかった日ほど、説明するには元気が要る。
パン屋の前を通り過ぎ、コンビニにも入らず、由芽は自宅の方向へ歩いた。えらい、と自分に言い聞かせたが、足取りはちっとも軽くならなかった。
アパートの手前に古い自動販売機がある。温かいコーンスープが百二十円で売られていた。冬の終わりなのに、まだ「あったか~い」の赤い表示が残っている。
由芽は立ち止まった。
百二十円は、塩パンより安い。けれど、水なら家にある。スープだって、粉末のものが一袋残っていたはずだ。買わない理由はいくらでも並ぶ。そのどれも正しい。
それでも百円玉と十円玉二枚を入れた。
落ちてきた缶は、思ったより熱かった。両手で持つと、指先からじわじわ温度が戻ってくる。ふたを開ける前に、由芽は塔子のメッセージを既読にした。
「今日はだめだった。説明はまた今度。いまコーンスープ飲んでる」
すぐに返事が来た。
「それは正解」
たった四文字に笑って、由芽は歩道の端で缶を開けた。粒は三つしか出てこなかったし、最後の一粒は底に残った。それでも、甘くてしょっぱい液体が喉を通るたび、今日一日の角が少し丸くなった。
家に着けば冷凍ご飯がある。洗い物は明日の朝でもいい。
財布の中は百二十円減った。でも、由芽は今夜を損したとは思わなかった。
空き缶は家まで持ち帰った。玄関で靴を脱ぐと、まだ手のひらにぬくもりが残っていた。由芽はそれを、無駄遣いの証拠ではなく、今日を帰りきった印だと思うことにした。