五〇三号室の向かい側

宝石商の梯廉堂が、ホテル五階の五〇三号室から消えた。

午後二時、梯は青い取引鞄を抱え、秘書の葉狩光代に見送られて商談室へ入った。内側から施錠し、「十五分後に買い手を通せ」と告げた。葉狩は廊下の椅子に座り、扉を見張った。窓は開かず、室内に別の出入口はない。

二時十五分、呼びかけに返事がなかった。電子錠の非常解錠には二人分の認証が必要で、葉狩と買い手の巻島章人は角を曲がった管理卓へ向かった。ベルキャプテンの三縞修吾だけが扉前に残った。九十秒後、三人で五〇三号室を開けると、梯も青い鞄も消えていた。三縞は「私は一歩も動いていない」と言った。

向かいの五〇四号室も空室だった。二室は同じ内装で、同じ鍵を使う商談室だという。

私は廊下と室内を一度ずつ見て、三つの違和感を書き留めた。

五階の商談室は、客同士が顔を合わせないよう、中央のエレベーターホールを挟んで対称に造られていた。厚い絨毯も乳白色の壁も同じで、窓のない室内から方角を知る手段はほとんどない。部屋番号こそが、利用者にとって唯一の住所だった。

まず、五〇三の真鍮プレートだけ、留めねじの溝が縦を向いていた。ほかの号室は清掃時にそろえられ、すべて横向きだった。

次に、開けた室内の避難図は「現在地」をエレベーターの東側に示していた。ホテル図面で東側にあるのは五〇四号室である。

最後に、葉狩が座っていた椅子の脚跡は、五〇三の前ではなく、向かいの扉前の絨毯に四つ深く残っていた。

巻島が避難図を見上げ、顔色を変えた。

「では、ここは……」

「五〇四号室です。三縞さんは認証を取りに二人が離れた九十秒で、手回し式の号室プレートと椅子を入れ替えた。戻った二人は、向かい側の空室を五〇三と思って解錠した。その間、本当の五〇三は見張られていない。梯さんは普通に廊下へ出て、非常階段へ行けた」

ねじの向き、避難図、椅子の跡は、部屋そのものではなく名前だけが移動したことを示している。

三縞が帽子を取った。内側から、青い鞄の革と同じ色の繊維がのぞいた。

私は向かいの扉を示した。

「消えたのは人ではありません。九十秒だけ、五〇三号室のほうが消えたんです」