五時十二分の校内放送

放送室の時計は、いつも二分進んでいた。

それでも先輩は、最後の放送を五時十二分に始めた。

「下校時刻になりました。校内に残っている生徒は――」

落ち着いた声が、夕暮れの校舎へ流れていく。私は隣のマイクの前で、原稿を握っていた。

先輩は卒業する。中学のころ人前で言葉がつかえ、教室ではほとんど話せなかったらしい。放送部へ入ったのは、顔を見られない場所なら声を出せるかもしれないと思ったからだという。

今では全校生徒が先輩の声を知っている。

けれど、今日で終わる。

窓の外では、街の屋根がオレンジ色に光っていた。校庭を横切る生徒の影が、門へ向かって長く伸びている。

「続いて、明日の連絡です」

先輩が私へ合図した。

私はマイクを近づけた。次の担当は私だ。何度練習しても、録音ランプが点くと声が高くなる。

「明日は、通常どおり――」

一行目で噛んだ。

先輩は笑わなかった。机の下で、指を三本立てる。吸って、止めて、吐く。いつも教わった呼吸だった。

私は読み直した。

今度は最後まで言えた。

先輩が締めの原稿へ戻る。

「忘れ物のないよう、気をつけて下校してください」

そこで一秒、間が空いた。

原稿にはない言葉が続いた。

「今日も一日、お疲れさまでした。また明日」

放送が切れた。

「先輩、明日は来ないですよね」

私が言うと、先輩はヘッドホンを外した。

「来ないね」

「じゃあ、今の間違いです」

「放送って、聞く人の明日に向けて言うものだから」

窓から差す光が少しずつ薄くなった。放送室の壁に、私たちの影が並ぶ。先輩の影は長く、私の影へ重なっていた。

「最後に、録音しなくていいんですか」

「残さなくていい」

「どうして」

「毎日流す声は、毎日消えるからいいんだよ」

先輩は鍵を私へ渡した。

廊下へ出る直前、スピーカーの電源をもう一度入れた。

私は誰もいない校舎へ向かって言った。

「今日も一日、お疲れさまでした。また明日」

声は少し震えた。

先輩は扉の外で、返事の代わりに親指を立てた。

時計が五時十三分になったとき、放送室には私一人だけが残った。

それでもマイクの前の椅子には、先輩の影がまだ座っているように見えた。