交換台、二十二時十七分
【昭和三十九年九月十四日 島浦電話交換局】
二十二時十七分。
本土回線六番と九番、落雷により混線。
交換手見習い、接続コードを差し直す。
復旧まで四分十二秒。
六郷たまきは、六番回線で室津彰人を呼び出した。
彰人は大阪の機械工場で働き、来春には島へ迎えに来ると言っていた。
だが父が倒れ、たまきには町の薬局から縁談が来た。
その夜の電話で、彼女は彰人に「それでも待つ」と伝えるつもりだった。
受話器の向こうで男の声がした。
『もう戻らない。こちらで所帯を持つ』
雑音が激しく、名は聞き取れなかった。
たまきは一言も返さず受話器を置いた。
同じ頃、彰人は島へかけ直していた。
彼の回線へ、別の女の声が混じった。
『父の決めた人に嫁ぎます。もう待てません』
彰人も、声の主の名を確かめなかった。
たまきは薬局へ嫁いだ。
彰人は大阪へ残った。
二人の手紙は、同じ月に途絶えた。
【平成十五年五月三日】
旧交換局の閉館展示で、混線事故の記録が公開された。
当時の見習い交換手が、退職前に残した謝罪文も添えられていた。
〈二十二時十七分、二組の通話を逆に接続した可能性あり。
復旧後、双方から再接続の依頼なし〉
たまきと彰人には、それぞれ記録の複写が郵送された。
電話番号簿に残っていた氏名を、交換手の娘が探したのだという。
二人は閉館日の午後、四十年ぶりに交換局で会った。
たまきは夫を看取り、彰人も妻を亡くしていた。
子どもと孫の写真を見せ合うと、どちらも穏やかに笑えた。
「あなたの声ではなかった」
たまきが言う。
「私も、たまきの声じゃないと気づけたはずだ」
「雑音のせいにする?」
「半分は」
「残りは?」
「怖かった。捨てられたのか、確かめるのが」
展示用の交換台には、二つの古い受話器が残っていた。
職員の許可を得て、二人は別々の小部屋へ入った。
ベルが鳴る。
彰人が受話器を取る。
「もしもし」
「はい、六郷です」
四十年前に言えなかった名乗りだった。
「待つつもりでした」
たまきが言った。
「迎えに行くつもりでした」
「遅いですね」
「ずいぶん」
二人は笑った。
もし正しくつながっていたら、今いる子どもたちは生まれなかったかもしれない。
歩いてきた人生を、交換手の間違い一つで否定することはできなかった。
「では、お元気で」
彰人が言う。
「今度は、ちゃんと聞こえました」
たまきは受話器を置いた。
古い交換台のランプが消える。
二十二時十七分に切れた恋は、四十年後、初めて正しい相手へ別れの言葉を届けた。