仮縫いの最終面接
鷲津泰成のスーツを仮縫いしたのは、店でいちばん年長の榛名周だった。
濃紺の生地は、物流会社の創業者が自ら選んだものだ。裏地には、会社の古い標語――《荷物より先に、信頼を届ける》――が目立たない糸で縫い込まれていた。
「袖が二ミリ長い」
鏡の前で鷲津は腕を振り、周の手元を見もしない。
「恐れ入ります。右肩が少し下がっておられるので、動いたときに――」
「言い訳はいい。職人なら客の体を服に合わせろ」
針を持つ私は息を止めた。周は「承知しました」とだけ言い、しつけ糸をほどいた。
鷲津は来週、大手物流会社の社長に就くと噂される人物だった。創業家の推薦で、残るは取締役会の形式的な承認だけ。就任会見用の一着を、この小さな店へ注文した理由は「先代からの付き合い」だという。
その先代が、若いころに制服のほつれを自分で持ち込んだ話を、私は周から聞いていた。偉くなるほど頭を下げる回数を増やせ。それが創業者の口癖だった。
「君、床の糸くずを取れ」
私が拾おうとすると、周が先に膝をついた。鷲津はその背中へ靴先を向けたまま、電話で部下を怒鳴った。
「使えない人間は切ればいい。代わりなんていくらでもいる」
通話を終えると、鏡の中の自分に満足そうにうなずく。
「襟をもう少し高くしろ。上に立つ人間は、首元で威厳が決まる」
周は黙ってピンを打った。鷲津が試着台から降りるとき、磨いた革靴が採寸表を踏んだ。謝りもしない。
「どうだ。社長らしく見えるか」
周は肩線を指でなぞった。
「服は、よくお似合いです」
「服は?」
「ええ。服は」
鷲津が眉を寄せたとき、店の奥で固定電話が鳴った。周は受話器を取り、スピーカーに切り替える。
『周さん、どうだった』
物流会社の創業者の声だった。鷲津の顔から色が消えた。
「会長、なぜこちらに」
『君の最終面接を頼んだんだ。人は、採用すると決まった相手より、逆らえないと思った相手への態度に寸法が出る』
周は踏まれた採寸表を拾い、余白に万年筆で一語だけ書いた。
「不適合です」
スピーカーの向こうで、会長が即答した。
『では、社長推薦を取り下げる』