会議室に届いた姫さま
生駒芹奈のスマートフォンは、会議中には決して鳴らない。
総務として当然の習慣だった。通知は切り、画面は伏せ、私用の話を職場へ持ち込まない。週末に赤いドレスと金の冠で魔法王女になることも、平日の芹奈には関係がないはずだった。
その日だけ、資料を映すため私物のタブレットを会議室のモニターにつないだ。
新しい勤怠制度を説明している最中、画面上部に通知が滑り込んだ。
《姫さま、土曜は冠を忘れないで! 従者一同》
八人の視線が、一斉に文字を追った。後方で小さく椅子が鳴り、誰かが口元を押さえた。
芹奈の指が止まる。通知を消そうとして、逆にトーク画面を開きかけた。そこには衣装写真も、仲間から届いた《陛下かわいい》のスタンプも並んでいる。画面が開けば、もう「冗談の呼び名」では済まない。
「生駒さん」
課長の低い声がした。
終わった、と思った。
ところが課長はリモコンで入力を切り替え、真っ白な社名ロゴを映した。
「端末の通知設定を確認する時間を取ります。これは情報管理上、全員に必要ですね」
笑い声が起きる前に、話題は業務へ戻された。
会議後、芹奈は課長の席へ行った。
「申し訳ありません。あれは、その、友人内の呼び名で」
「説明は不要です。勤務外でしょう」
課長は資料をめくったまま言った。
「ただし次回は、お姫さまも機内モードでお願いします」
冗談なのか分からず、芹奈は顔を上げた。
課長の机の引き出しが少し開き、中には色とりどりの刺繍糸が並んでいた。
視線に気づいた課長は、淡々と閉める。
「私も人形の服を作ります。職場で発表する予定はありません」
帰り際、同僚たちは誰も通知のことを蒸し返さなかった。芹奈は自席で、冠を隠すために買った無地の布袋を見つめた。いつもなら会社の最寄り駅へ着くまで、趣味の通知すら開かなかった。
芹奈は電車の中で、コスプレ仲間のグループを開いた。いつもなら恥ずかしさの勢いで表示名を変え、履歴まで消していただろう。
《冠、修理できた。土曜は予定どおり行く》
送信すると、王冠のスタンプが五つ返ってきた。
芹奈は通知だけを非表示にした。姫さまという呼び名は、消さなかった。