冷却期間は三度設定
六車綿子は深夜一時、台所でスマート冷蔵庫「チルドン」に相談していた。恋人から届いた『少し距離を置きたい』というメッセージを、ひとりでは読み返せなかったのだ。
「ねえ。距離を置きたいって、どういう意味かな」
『食品同士は五センチ以上離すと、冷気が循環します』
「食品じゃなくて、私たちの関係」
『関係する食品を特定してください。肉類、乳製品、交際相手』
「最後のやつ。最近、関係が冷え切ってる」
『設定温度を三度から五度へ変更します』
「温度の話じゃない」
『急激な温度変化は結露の原因です。段階的な改善を推奨します』
「段階的に、どうすればいい?」
『詰め込みすぎを避けてください』
「確かに私、連絡しすぎたかも」
『扉の開閉回数も減らしてください』
「家へ押しかけるなってこと?」
『冷気が逃げます』
「じゃあ、しばらく黙って待つ?」
『消費期限をご確認ください』
「恋に期限をつけないで!」
『開封後は早めにお召し上がりください』
「私の気持ちはまだ新鮮よ」
『鮮度センサーでは確認できません』
「彼の気持ちが傷んでいたら?」
『異臭、変色、ぬめりをご確認ください』
「人の感情を生鮮食品みたいに扱わないで」
『冷凍保存なら長期保管が可能です』
「思い出を凍らせる話はしてない!」
綿子は腹が立ち、冷蔵庫の扉を開けた。警告音が鳴る。
『扉が開いています』
「私の心も開きっぱなしよ!」
『閉めてください』
「無慈悲!」
それでもAIの言葉が妙に胸へ刺さった。綿子は恋人へ返信した。
『詰め込みすぎてごめん。少し間を空ける。温め直せるなら、また話したい』
チルドンがすぐに口を挟んだ。
『再加熱は中心部七十五度で一分以上』
「送信後に言わないで!」
『会談時の持参物を提案します。保冷剤、密閉容器、消臭剤』
「普通は花とかお菓子でしょう」
『プリンの在庫があります。賞味期限は本日です』
「それ、仲直りに使わせるつもり?」
『廃棄削減にもなります』
翌朝、恋人が大笑いしながら部屋へ来た。
「ごめん。距離を置きたいって、君とのことじゃない」
「え?」
「ベッドの横に冷蔵庫があると、夜中うるさくて眠れないって意味」
綿子は無言でチルドンを見た。
『移設業者を検索します』
その判断だけは、冷静だった。