助手席の雲

久我峰湊貴の仕事を、妻の宵待坂沙和乃はいつも笑った。

「在宅の映像編集なんて、半分無職でしょ。外で働く人の苦労は分からないよね」

その“外で働く人”が、沙和乃の営業部長・荒城堂礼央紀だった。

湊貴が二人を問いただすと、礼央紀は社用車の助手席で笑った。

「写真でもあるのか? 奥さんを疑う前に、もっと稼げる夫になればいい」

湊貴は車のダッシュボードを指した。

「その車、撮影機材を運ぶため、僕が会社から借りたことがある。クラウド設定を直したのも僕だ」

社用車のドライブレコーダーは、衝撃時だけでなく、会社の運行管理サーバーへ常時低画質映像を送っていた。管理者が設定を変えない限り、車内音声も保存される。

人事会議で再生された映像には、訪問先へ行かず海沿いのホテルへ入る二人、助手席で湊貴の収入を嘲る会話、架空の日報を相談する声まで残っていた。

沙和乃は「夫が勝手にデータを抜いた」と訴えた。

運行管理責任者が首を振る。

「久我峰さんから受け取ったのは保存先の情報だけです。正式に取得したのは監査室です」

GPSでは、二人が顧客面談と申告した二十七日のうち十九日が私用外出。燃料費、高速料金、ホテル駐車料まで会社負担だった。

礼央紀は部長職を解かれ、沙和乃とともに懲戒解雇。二人へは不正経費と取引損失の返還請求が出された。湊貴の代理人は、映像、メッセージ履歴、宿泊記録を証拠として、双方へ慰謝料請求を送達した。

その日の夕方、沙和乃の両親が家へ来た。母は湊貴に深く頭を下げ、娘へ実家の鍵を返すよう告げた。

「苦しいとき支えてくれた人を、収入で笑う娘に育てた覚えはありません」

沙和乃は泣きながら、湊貴へ助けを求めた。

彼は編集室の画面を閉じた。

「僕は映像の仕事をしている。不要な場面を切り、残すべき事実を残す仕事だ」

人事システムで二人の在籍表示が同時に灰色へ変わる。

助手席の窓に流れていた雲が停止画像になった瞬間、笑われていた湊貴だけが、次の場面へ進めることが確定した。