十四秒の歌

阿波根圭吾は、歌が下手だった。

音程を外すだけならまだいい。本人が正しいと信じて大声を出すので、忘年会ではマイクを隠され、娘の莉世には「お父さんの子守歌で眠れたのは、気絶に近かった」と評された。

離婚してから二年、莉世とは月に一度しか会っていない。今度の誕生日に何がほしいと聞くと、返事は短かった。

《昔の歌、送って》

昔、風呂で一緒に作ったでたらめな歌だ。歌詞は覚えている。問題は声だった。

駅裏の路地で見つけた店には、大小の砂時計が並んでいた。札には《願いは一文字につき一秒》とある。

「歌がうまくなりたい」

店主の女が指を折った。

「九秒です」

「一生じゃないんですか」

「九秒です」

圭吾は考えた。九秒ではサビにも届かない。言葉を増やせば時間も延びるらしい。

「世界中の誰よりも美しく、長く、正確に歌えるようになりたい」

「二十八秒」

長くはなったが、大仰すぎて恥ずかしい。そもそも莉世は美しい歌など求めていない。

圭吾は携帯を開き、録音画面を出した。

「娘が笑えるよう上手に歌いたい」

店主は十四秒の砂時計を返した。

砂が落ち始める。

圭吾は慌てて録音を押した。

「おふろの国には、あひるの王さま――」

自分の口から、驚くほど澄んだ声が出た。だが四秒目で欲が出た。ビブラートをかけ、七秒目には無駄なこぶしを回し、十秒目にはオペラ歌手のように腹を震わせた。

十四秒で魔法が切れた。

最後の「さま」は、いつものひどい裏声になった。

圭吾は頭を抱えた。録り直しはできない。店はもう壁になっていた。

仕方なく、そのまま莉世へ送った。

一分後、着信が来た。

「お父さん、何あれ。最初だけ別人じゃん」

電話の向こうで、莉世が笑っている。昔と同じ、息を吸うたび笛みたいな音がする笑い方だった。

「失敗した」

「成功でしょ。最後、お父さんだったし」

圭吾は駅前の雑踏で、しばらく答えられなかった。

やがて莉世が、小さく歌い出した。音程は圭吾より少しましで、しかし母親に似ず、ところどころ危うい。

圭吾も重ねた。二人とも途中で歌詞を忘れ、同じところを三度歌った。

十四秒を過ぎていたが、今度の歌は、最後までちゃんと届いた。