十銭席の終幕

昭和九年、活動写真館〈金星座〉の席には三つの値段があった。

一階の長椅子は十銭。二階は三十銭。赤い絨毯を敷いた桟敷席は一円だった。

柘植兵吾は十銭席の案内係で、真壁澄枝はいつも桟敷席に座った。彼女の父が金星座と紡績工場を所有していたからである。

上映中、兵吾は暗闇に紛れて階段を上り、澄枝へ映画の結末を先に教えた。澄枝は代わりに、女学校で習ったフランス語を一つずつ教えた。

誰にも見つからない恋は、館内が明るくなるたび身分へ戻った。

やがて紡績工場で賃下げが発表された。

兵吾の母と妹も女工だった。兵吾は仲間と抗議文を作り、金星座の入口で配った。

澄枝は父の机から帳簿を持ち出し、賃下げが不要だと示す頁を彼へ渡した。

「これで撤回させられる?」

「君が渡したと知れたら、家を追い出される」

「なら一緒に出る」

「君には、出た先が物語に見えるんだ」

澄枝の顔が強張った。

兵吾には病気の母と、十二歳の妹がいる。仕事を失えば、社宅も診療所も使えなくなる。澄枝が宝石を売れば当面は暮らせるだろう。だがそれは、彼女の家が奪った賃金を、彼女の施しで受け取ることでもあった。

「私が裕福だから、好きになれないの?」

「好きだよ。だから君を、俺たちを救うお嬢さまにしたくない」

「私はあなたの側に立ちたい」

「立つ場所を選べる人と、そこから動けない人は、同じ側じゃない」

抗議の夜、警官が来た。

兵吾は解雇され、町を出ることになった。澄枝は父に命じられ、東京の親類宅へ送られた。

最後の上映で、澄枝は桟敷席ではなく十銭席に座った。

兵吾は切符を受け取らなかった。

「今夜だけ、同じ席」

彼女が言う。

「映画が終われば、戻る」

「分かってる」

スクリーンでは、貧しい青年と令嬢が汽車で逃げていた。

館内は拍手に包まれた。

二人は手をつながなかった。

作り話の中なら越えられる格差を、暗闇の外へ持ち出せないと知っていたからだ。

終幕後、灯りがついた。

澄枝は一円札を置き、兵吾は九十銭を返した。

恋人として過ごした最後の時間まで、十銭より多く受け取らなかった。