右の梯子は使わない

十歳の凌久が目を開けると、鼻を刺したのは夏草と古い木の匂いだった。

雑木林の秘密基地。完成前の二階へ上る梯子が二本、木に立てかけられている。右は近道、左は遠回り。

右の梯子には、赤い縄が結ばれていた。縄は隆士が「隊長の印」と呼び、皆が触ることさえ許さなかったものだ。

十五年後まで右脚を引きずった凌久は、その縄を見ただけで膝が痛んだ。

年上の隆士が、前と同じように笑う。

「隊長なら右から来いよ。怖くないだろ?」

前の人生で凌久は「怖くない」と答えた。腐った三段目が折れ、落ちた釘が膝を貫いた。野球の推薦は消え、隆士は「勝手に登った」と口裏を合わせた。凌久が病院にいる間、秘密基地は隆士の手柄として完成し、仲間たちは事故の責任を押しつけられるのが怖くて離れていった。

やり直せるのは、たぶんこの一言だけだ。

凌久は右の梯子へ近づき、赤い縄をほどいた。

「怖いよ。だから、調べる」

仲間たちが笑いかける。凌久は笑わせたまま、縄を三段目へ巻きつけ、少し離れて引いた。

乾いた音とともに板が砕けた。中から白い蟻と錆びた釘がこぼれる。

笑い声が止まった。

隆士が顔色を変える。

「お、お前が壊したんだ!」

「昨日、右はお前が作った。みんな見てる」

凌久は左の梯子も一本ずつ踏んで確かめ、補強用の板を渡した。未来で建築士になった知識などなくても、どこへ力がかかるかは、落ちた瞬間を何千回も夢に見て知っている。

「隊長ごっこは終わり。安全を確認した人から上がる」

一番小さな子が、黙って凌久の横へ並んだ。続いて二人、三人。隆士だけが右の梯子の前に残る。

そのとき林道から学校の先生が駆けてきた。前の人生では救急車を呼ぶために来た先生だ。

先生は折れた段と縄を見て、凌久の無傷な膝を確かめた。

「誰が止めたの?」

「凌久」

仲間たちの声がそろう。

先生は赤い縄を凌久へ返さず、隆士の手から金槌を取り上げた。

そして前の人生では一度も聞かなかった言葉を言った。

「凌久君。みんなを守れるなら、本当の隊長をお願いしてもいい?」