右手を離す合図
人混みではぐれないために手をつなぐ。ただし、赤い鳥居をくぐったら離す。
幼なじみが決めた規則は、最初から抜け道だらけだった。
「赤い鳥居って、入口の?」
「そう」
「奥にもあるけど」
「入口の」
僕らは駅前で同じクラスの連中と合流し、商店街を神社へ向かった。彼女は白地に朝顔の浴衣で、僕は見慣れなさのあまり、最初の三分ほど顔をまともに見られなかった。
「何」
「歩きにくそうだなって」
「今、浴衣の感想を避けたでしょ」
返事をする前に、人の波が横から入り込んだ。彼女は迷いなく僕の右手を握った。
「規則だから」
手のひらは思ったより冷たかった。
屋台の間を進むたび、肩がぶつかった。彼女は焼きとうもろこしを持つ左手だけ器用に動かし、右手は離さない。友達にからかわれると、「迷子防止」と言い切った。
やがて入口の鳥居が見えた。
僕は少し力を緩めた。彼女の指は逆に強くなった。
「もう鳥居だよ」
「あれ、入口だった?」
「さっき自分で言っただろ」
「人が多くて確認できない」
鳥居をくぐったあとも、彼女は離さなかった。石段の上にも小さな朱色の鳥居が見えたから、そっちまでだと言う。
境内へ着くと、今度は花火を見る河原までが危ないと言った。河原では暗くて足元が見えないから危ない。花火が始まると、音に驚いて誰かが押すかもしれないから危ない。
規則はどんどん延長された。
空に最初の光が開いた。赤、青、金。遅れて音が胸に響いた。
彼女が何か言ったが、聞こえなかった。
「何?」
聞き返すと、首を振った。次の花火が上がる。今度は、口の形が見えた。
――離したくない。
そう見えた気がした。
僕は確かめなかった。代わりに、つないだ手を握り直した。
花火が終わり、帰る人で道はさらに混んだ。入口の鳥居まで戻っても、彼女は規則を思い出さないふりをした。
「もう離す合図、過ぎたけど」
僕が言うと、彼女は前を向いたまま答えた。
「帰り道の規則は決めてない」
僕らは駅まで手をつないだ。
改札前でようやく離れた右手には、彼女の体温と、抜け道だらけの約束が残っていた。