名前のない朝食

雫の台所には、撮影用の皿が十二枚ある。縁が青いもの、生成りのもの、光を吸う黒いもの。食品会社の広報として、彼女は毎週「忙しい朝にも心ほどける一皿」を投稿していたが、自分の朝食は駅で買う缶コーヒーだった。

投稿には「真似しました」「こんな朝を過ごしたい」と反応がつく。雫はハートを返しながら、撮影後に冷えた料理を捨てることもあった。食べる時間より、光がきれいな時間を優先していた。

日曜の夕方、隣に越してきたラファエルが塩を借りに来た。アルゼンチンから研究員として来日したばかりで、漢字の書かれた袋を三つ抱え、どれが塩か分からないらしい。

雫が小瓶へ分けて渡すと、彼は開いたままの食器棚を見た。

「皿はたくさん。朝ごはんは、どこ?」

「仕事では作ります」

「仕事じゃない朝ごはん、名前ありますか?」

妙な聞き方だった。雫が笑うと、ラファエルは塩の小瓶に油性ペンで小さく丸を描いた。

「明日、食べてから写真。名前のないもの、一口でいい」

それだけ言って帰った。

月曜の朝、雫はいつもより七分早く目を覚ました。冷蔵庫には撮影の残りの卵と、形の悪いトマトがある。フライパンを出すのが面倒で、一度は缶コーヒーへ手を伸ばした。しかし、塩の瓶の丸が目に入った。

卵を割ると殻が落ちた。トマトは切りすぎて水が出た。半熟にするつもりが、端だけ焦げた。青い縁の皿へ盛れば、色の対比は悪くない。窓際へ運び、スマートフォンを構える。

画面の中では、湯気が弱い。フォークの向きを直し、トマトの種を拭こうとして、雫は手を止めた。

食べてから写真。

焦げた端を一口かじる。温かくて、塩が少し多い。誰にも見せない味は、投稿文に変換しなくても口の中に残った。二口目を食べたところで黄身が崩れ、皿は完全に撮影向きではなくなった。

雫はカメラを閉じた。会社の予約投稿には、昨日作った完璧な朝食がもう登録されている。

彼女はその横で、名前のない失敗作を最後まで食べることにした。