名前をいちばん上に

門脇莉央は、閉店五分前の文具店で透明な見出しシールを探していた。翌朝の企画会議に出す資料を、今夜じゅうに整えなければならない。

提案の核を考えたのは莉央だった。三か月前、会議後のごみ箱から捨てられたメモを拾い、そこから企画を組み直した。顧客への聞き取りも、数字の組み直しも、試作品の手配もした。課長には先週、「君は表に出るより、支えるのがうまい」と褒められた。嬉しいふりをしたが、その言葉は小骨のように残っていた。それでも表紙の作成者欄には、課長の名前だけを置くつもりでいた。「チームの仕事だから」と言われれば、そのほうが角が立たない。前回の企画でも、発表した課長だけが役員に名前を覚えられた。莉央は質問への補足をすべて書いたのに、議事録では「課長案」とまとめられた。訂正できたはずだが、評価を欲しがる人に見えるのが怖くて黙った。

試筆台では、黒い帽子の女が万年筆で同じ字を何度も書いていた。環。太く、細く、右上がりに、円を描くように。年は五十前後に見える。

「ご自分の名前ですか」

莉央がシールを取ろうとして訊くと、女は頷いた。

「名前は毎回、違う顔をするから」

女は莉央の手元の資料を見た。表紙だけが白い。

「そこには誰の名前を書くの」

「上司です。私は最後に小さく」

環はキャップを閉じた。

「あなた、白い紙を渡されたら、最初に誰の名前を書きます?」

「普通は、偉い人からじゃないですか」

「明日だけ、自分を一番に書いてみて。消すかどうかは、そのあと決めればいい」

それだけ言うと、環は試筆した紙を一枚も持たずに帰った。紙には無数の「環」が残され、店員が困った顔で集めていた。

翌朝、会議室にはまだ誰もいなかった。莉央はノートパソコンを開き、表紙の「作成者」という空欄をクリックした。カーソルが細く点滅する。

課長の姓を打ちかけて、削除した。環の字を思い出したわけではない。ただ、自分の名前を最初に置いた画面を、一度も見たことがないと気づいた。

門脇莉央、と入力する。続けて課長と二人の同僚の名を並べた。自分だけを大きくしたわけではない。順番が違うだけだった。

廊下で足音がした。莉央は作成者欄へ戻り、名前を消す代わりに、保存のアイコンを押した。