呪具鑑定士の指をほどく鉄緑泉
《苔釜の宿》の主人ノノカは、最初の客が手袋を外せないことに気づいた。
呪具鑑定士エッケルトは、革手袋のまま宿帳へ名を書こうとした。だが指が曲がらず、羽根ペンを床へ落とす。
「明朝までに王家の宝剣を鑑定できなければ、私の工房は取り上げられる。なのに、この手だ」
彼がようやく手袋を剥がすと、十本の指は蝋のように白かった。毎日、呪われた品を触れ続けたせいで、残留呪力が関節へ絡みついているらしい。高名な魔術師は浄化料として金貨百枚を要求した。それを払えば工房は残らない。
ノノカは帳場の奥にある一人用の石風呂へ案内した。湯は鉄錆色で、青い苔が細く揺れている。
「鉄緑泉です。呪いを消すのではなく、持ち主でないものだけ剥がします」
「鑑定士の手から呪いだけを選べると?」
「湯は、道具より働き者ですよ」
エッケルトが両手を浸す。しばらく何も起きなかった。やがて皮膚の下から黒い糸が浮き、苔へ吸い込まれ始めた。剣の怨念、指輪の嫉妬、杯に残った毒念。それぞれ違う色の泡になり、湯面で弾ける。
「痛いなら上げてください」
「痛い」
彼は眉をしかめたまま、笑った。
「痛みが分かる。指が、私のものに戻っている」
一本ずつ曲げるたび、関節が小さく鳴った。薬指には古い火傷、親指には刃物の傷。感覚が消えてから忘れていた、自分で積み重ねた仕事の跡だ。
「呪いの痕ではないものは残るのだな」
「それはエッケルトさんの履歴です。湯が勝手に捨ててはいけません」
彼は傷を撫で、今度は自分の意思で両手を深く沈めた。
湯上がりにノノカが羽根ペンを差し出すと、エッケルトは親指と人差し指で軽々つまんだ。さらに腰袋から極細の鑑定針を出し、糸穴へ一度で通す。宿帳へ走らせた署名は、最初の震えた線とは別人のように鋭い。
彼は規定の銀貨を置き、さらに七枚並べた。
「宝剣を終えたら、倉庫の呪具を一つずつ見る。つまり七日はここへ来る」
「毎回、手袋を忘れずに」
「もう忘れない。外せると分かったからな」
鑑定士が坂を下りきる前に、帳場の呼び鐘が鳴った。
扉の向こうから、固い指で何度も取っ手を叩く音がした。