呼名手当三百円
北辰プレスでは、朝礼で名前を呼ばれるたび、呼ばれた者の寿命が十分減る。その代わり一回百円の呼名手当がつく。正社員は週一回、契約社員は月末だけ。瀬尾川充希は入社して半年、自分の名を三度しか聞いていなかった。
現場では番号で十分だった。充希は二八番、隣の安曇木亮は三一番。二人は同じ夜勤で、同じ油臭い休憩所を使った。月末に名を呼ばれると、亮は腕時計の長針を十目盛り戻し、給与袋へ百円玉の絵を描いた。呼名された時間は戻らないが、そうするのが現場の習慣だった。亮は手当をためて、娘の誕生日に赤い靴を買うと言っていた。
「十分と百円なら、時給六百円だな」
「命の安売りだ」
「でも靴は残る」
月末の朝礼後、三号プレスが止まらなくなった。安全柵の内側に亮が取り残され、非常停止は反応しない。こういうとき設備は、作業者の登録名を三回認識すると電源を落とす。番号では駄目だ。
班長は名簿をめくったまま固まった。
「契約社員の呼名は月一回までだ。今日はもう点呼した」
「三回で三十分です」
「規則外の控除は会社が補償できない」
プレスのラムが鈍い音を立てて下がる。柵の中で亮は、呼ぶな、と首を振った。ロッカーに貼られた子どもの絵が充希の頭に浮かんだ。赤い靴だけが紙からはみ出すほど大きく描かれていた。
充希は操作盤のマイクをつかんだ。
「安曇木亮」
警告灯が一つ消えた。
「安曇木亮」
ラムが震えて止まりかけた。
「安曇木亮」
工場中のモーター音が落ち、床に金属片が雨のように散った。
亮は助かった。右肩を骨折しただけで、寿命票にはきっちり三十分の控除が記録された。医務室へ運ばれる担架の上で、充希に向けて三本指を立てた。充希も三本指を返したが、班長だけは時刻をメモしていた。
翌月の給与明細に、亮の呼名手当は三百円追加されていた。寿命控除欄は三十分。備考には「本人希望によらないため異議申立て可」とあった。
亮は異議申立書を出さなかった。代わりに充希のロッカーへ、小さな靴箱を置いた。中には赤い子ども靴が片方だけ入り、もう片方の場所に百円玉が三枚、油で黒くなった赤い手袋の指先で押さえられていた。