喉のない生配信

失踪した歌い手のアバターが、音より半拍早く口を開いた。

音声技師の蟬丸伊織は、配信卓の入力をすべて確認した。マイクは切れている。歌唱データも読み込んでいない。それなのに白雨メルの唇は、次に鳴る母音の形を先に作り、遅れて合成声が追いついた。

画面の端に、彼女が失踪前に残した一文が浮かぶ。

「口を閉じて」

メルは声帯の微細な震えを読み取る新型センサーの被験者だった。喉へ貼るだけで、声にする前の動きを音へ変えられる。所属会社は「疲れず歌える未来」と宣伝したが、実際には怒鳴り声も拒絶も、本人が飲み込んだ言葉まで商品にしようとしていた。伊織は調整担当として彼女の沈黙を何百時間も記録した。

三週間前、メルは実験室から消えた。残っていたのは剥がしたセンサーと、この一曲だけだった。

「口を閉じて」

Aメロが始まる。アバターは伊織の唇より早く歌う。伊織が息を止めると、一拍だけ旋律も途切れた。入力元をたどると、自分の首に掛けたスタッフ用通話端末が赤く点滅している。端末は喉の動きを拾い、メルの声へ変換していた。

伊織は外そうとした。だがサビで、会議室にいる全員の端末が同時に歌い始めた。社長の咳、法務の舌打ち、研究員の浅い呼吸。それぞれがメルの声に変換され、異様なコーラスになる。

やがて言葉になった。

〈嫌だと言った記録は消せ〉

〈眠らせれば署名は取れる〉

〈本人がいなくても声は残る〉

どれも彼らが実験中に囁いた台詞だった。メルは自分の沈黙だけでなく、周囲の喉の震えも密かに保存していたのだ。

社長が主電源へ走る。アバターは最後の高音を伸ばしながら、社長の口より先に次の言葉を歌った。

〈止めろ〉

一秒後、社長自身が同じ言葉を叫ぶ。配信には未来予知のように重なり、視聴者数が跳ね上がった。

最後の一音とともに、メルの音声モデルが消去される。アバターの顔も輪郭から崩れ、残ったのは社長たちの生声だけだった。

画面に、三度目の指示が出る。

「口を閉じて」

黙っていろという脅しではない。彼女の口を使って歌うな。自分の罪は、自分の喉で話せという命令だった。