嘘を真実にする緋色
緋色のドレスを着て口にした言葉は、夜明けまで真実になる。その代わり、なぜそれを望んだのかという記憶が消える。
エステルはその説明を、裁判所の控室で三度読み返した。
薬師イヴァンは、王族毒殺の罪で夜明けに処刑される。証拠は彼の鞄から出た毒草だけ。けれどあれは、エステルの冬熱を治すために集めた薬だった。彼は密売人の名を明かせば助かるのに、病弱な妹を守るため黙っている。
ドレスが作る真実は夜明けにほどける。それでも、その間に確定した判決や開いた牢の扉までは元に戻らない。だから一言で救える。簡単なはずだった。だがエステルは、救ったあと自分が彼を疑い、避け、差し出された手を振り払うかもしれないことのほうを恐れた。恩だけでなく、恋まで「理由」に含まれると分かっていた。
「その服で『彼は無実』と言えばいい」
弁護士は簡単に言った。
だが呪いが奪うのは、彼を救いたい理由だ。雪の晩、熱に浮かされた自分の手を握り続けた温度。薬が苦いと泣くたび、飴を半分に割ってくれた笑顔。春になったら一緒に海を見ようという約束。
すべてが「なぜ」の中にある。
法廷で、イヴァンは鎖につながれたまま目を伏せていた。彼はエステルを見ると、ほんの少し首を振った。言うな、という合図だった。
裁判官が判決文を開く。
エステルは緋色の裾を握った。
「イヴァンは、王族に毒を盛っていません」
空気が震えた。記録官の紙から罪状が消え、毒草は治療薬として書き換わる。見張りの鍵が外れ、裁判官の口から無罪が告げられた。
同時に、エステルの胸から雪の夜が抜け落ちた。飴の甘さも、春の海も、誰かを待ち続けた一年も、穴のように消える。
自由になったイヴァンが駆け寄った。
「エステル、ありがとう。今度こそ海へ行こう」
彼の目には、彼女だけが知っていた優しい色があった。
けれどエステルには、知らない男が親しげに未来を語っているようにしか見えない。
「ごめんなさい」
夜明けの鐘が鳴る直前、彼女は一歩だけ後ろへ下がった。
「私たち、どこかで会いましたか」