四つの口笛
比良坂伊作は、朝になるとカナリアの「ランタン」へ四つの音を吹いた。
高く一つ、低く二つ、最後に長く一つ。
ランタンは同じ節を返し、それから餌を食べた。炭鉱を退いた伊作が、三十年以上欠かさなかった朝の点呼だった。
孫の汀子が同居を始めた冬、口笛が止まった。
ランタンは籠の止まり木で待ち、歌わなくなった。獣医は体に異常はないと言ったが、伊作は「年だろう」と窓を向いた。
その日は、最後まで生きていた元同僚の葬儀だった。
古い写真には、煤だらけの若者が四人並んでいた。伊作だけが残り、毎朝吹いていた四音は、一人につき一音の合図だったと汀子は初めて知った。
昔、暗い坑道へ入る前にも、四人はその順番で口笛を吹いたという。誰かの音がなければ、振り返った。地上へ戻ったあとも、全員いることを確かめてから靴の煤を落とした。
「もう、返事する者がおらん」
伊作はそう言って、写真を引き出しへ戻した。
汀子は町を歩いた。写真の裏に書かれた姓を頼りに、三人の家族を訪ねた。事情を話すと、皆、昔の話を一つずつくれた。
酒を飲むと必ず歌った人。
弁当の卵焼きを交換した人。
伊作の結婚式で、緊張して祝辞を全部忘れた人。
翌朝、汀子は食卓へ三台の携帯電話を並べた。
画面の向こうには、同僚たちの子や孫がいた。誰も口笛が上手ではなかった。最初の一音は裏返り、二人目は低すぎ、三人目は笑って途中で吹けなくなった。
伊作は呆れた顔で立ち上がった。
「点呼がばらばらじゃ」
そして、最後の一音を自分で吹いた。
長く、少し震えた音だった。
ランタンが首を上げた。
小さな胸を膨らませ、四つの音を一息に返した。完璧ではない。けれど、誰の音も置いていかなかった。
伊作は籠の前で、一人ずつ名前を呼んだ。
返事の代わりに、画面の向こうで家族たちが「はい」と答えた。伊作も最後に自分の名を呼び、自分で「はい」と答えた。
それから毎月一度、四つの家は朝の点呼をするようになった。吹く者は増え、節はますます不揃いになった。
ランタンは、そのたび一番大きな声で歌った。
最後に残るとは、一人になることではない。
覚えている者が、次に覚える者へ名前を渡す役目なのだと、伊作はようやく知った。