四番線の赤信号
最終電車が四番線へ滑り込むと、鷺森奏太の腕時計は午後十一時五十五分に戻った。
「信号よし。発車します」
若い運転士の声。窓際の少年が、紙で折った星をガラスに貼る。五分後、列車は赤信号を無視して高架の闇へ突っ込み、衝撃の代わりにまた十一時五十五分へ戻る。
奏太は鉄道会社の信号保安課にいた。十年前、この区間で起きた脱線事故の調査記録を改ざんしたのも彼だった。遅延を嫌った上司の指示で、赤信号を一時的な機器不良として処理した。その夜、六人が死んだ。最終電車には、当時の乗客と同じ顔が並んでいる。
最初の周回で非常通報器を押した。列車は停まり、少年の紙の星が床へ落ちた。安堵した瞬間、腕時計は戻った。
次は運転室へ駆け込み、ブレーキを引いた。停止まで残り二メートル。だがまた十一時五十五分。
「信号よし。発車します」
三度目、奏太は運転士に事故のことを話した。運転士は前を見たまま言った。
「止めたいのは列車ですか。記録ですか」
奏太は息をのんだ。事故の直前、自分は保安装置の警報を切り、時刻を五分だけ書き換えた。いま繰り返されている五分そのものが、彼の嘘だった。
成功条件は列車を止めることではない。赤信号を赤のまま、記録に残すこと。
午後十一時五十八分。奏太は業務端末を開き、保管していた原本を監督官庁と遺族会へ一斉送信した。件名は「十年前の信号記録改ざんについて」。添付の最後に、自分の署名を入れる。
送信直前、上司からの古い音声が再生された。
『五分だけだ。誰も気づかない』
少年が紙の星を貼った。
「おじさん、次は星見ヶ丘だよ」
奏太は送信を押し、運転室の信号確認票に赤いペンで「停止」と書いた。
列車は赤信号の手前で静かに停まった。今度は時計が戻らない。乗客たちは一人ずつ薄くなり、少年の星だけが窓に残った。
午前零時、ホームには警察官が二人待っていた。会社員としての経歴も、退職金も、自由も終わるだろう。
「信号よし」と運転士はもう言わなかった。
奏太は赤い灯を見たまま、自分から両手を差し出した。