四階と五階のあいだ

小坂井澄花が紹介されたマンションには、四階がなかった。

一、二、三の次は五。よくある縁起担ぎだと聞いていたのに、内見を終えた帰り、エレベーターの表示が一瞬だけ「4」を灯した。扉の向こうには、同じ顔をした女が住んでいた。

女は散らかった部屋でノートパソコンを抱え、澄花を見るなり言った。

「その昇進、断って。半年後、こうなるから」

翌日、澄花は〈遠野住宅〉の机を叩いた。

担当の遠野冬至は、紺のスーツに鮮やかな緑の靴下を合わせていた。エレベーターへ乗るたび、真鍮の専用鍵を差し込み、決まって言う。

「上へ参ります」

二人で現地へ戻る。冬至が鍵を回すと、存在しない四階が現れた。昨日の女は、冷めた弁当の横で眠っていた。

「未来なんですか」

「候補です。駅近物件には、ときどき通勤時間で肥えた未来が住みつきます」

「昇進を断れば消えますか」

「不動産屋に人事相談を丸投げしないでください」

言い方は冷たい。だが冬至は、女の肩へ自分のコートを掛け、鳴り続ける社用携帯の電源を落とした。

澄花は来週、チーム責任者への昇進を打診される。嬉しかった。けれど前任者は毎晩終電で、会社は「最初だけ頑張ればいい」としか言わない。断るのも、条件を尋ねるのも、期待を裏切るようで怖かった。

冬至は緑の靴下をのぞかせてしゃがみ、床に落ちた手帳を拾った。未来の澄花の字で、三か月分の予定が黒く埋まっている。毎週水曜の欄だけ、消した跡があった。

「ここには何を入れる予定でした」

「陶芸教室です。今も通っています」

「過去形にするのが早い」

冬至は現実の五階ではなく、駅から二駅離れた別物件の資料を渡した。会社まで十五分遠い代わりに、陶芸教室へは歩いて三分。家賃も同じだった。

「便利な方を勧めないんですか」

「何に便利かを決めずに、駅だけ近づけるのは雑な仕事です」

澄花は昇進を断るのではなく、残業上限と副責任者の配置を条件にすると決めた。未来の女へそう告げると、散らかった四階は薄くなり、最後に水曜の白い欄だけが残った。

帰りのエレベーターで、冬至は一階のボタンを押す。

「上へ参ります」

「下ですよ」

澄花が笑うと、冬至は真顔で真鍮の鍵を抜いた。

「階の話ではありません。条件を口にできる人は、昨日より上です」