四階までのスイートピー

鷺沼依央が古い集合住宅へ越してから、毎週火曜、玄関前にスイートピーが届くようになった。

花瓶代わりは、建物名の入った小さな牛乳瓶。カードも名前もない。淡い桃色の花だけが、四階までの階段を上ってきたように揺れていた。

祖母の死後、部屋を引き払うつもりで来たのに、依央はそのまま住むことを選んだ。押し入れには古い座布団、台所には背の低い踏み台。捨てるにも残すにも理由が要りそうで、段ボールは三か月たっても半分が閉じたままだった。花だけが、迷わず部屋へ入ってきた。

考えられるのは、ベランダで草花を育てる隣人の久世、宅配便のたびに世間話をする南條、それから住み込みの管理人・嶺岸だった。

依央は三つのことに気づいた。花は近所の店では扱っていない縞入りの品種。牛乳瓶は十年以上前に廃止された、この建物の共同配達用。そして屋上の物干し場に、同じ花が咲いている。屋上の鍵を持つのは管理人だけだ。

火曜の朝、依央は階段の踊り場で嶺岸を待った。管理人は牛乳瓶を抱え、ばつが悪そうに眉を下げた。

「お祖母さんには、内緒にしろと言われてたんですがね」

この部屋には、依央の祖母が暮らしていた。亡くなる少し前、屋上で採れた種を嶺岸に預け、「あの子がここへ来ることがあったら、春を一つずつ届けて」と頼んだという。

けれど依央が入居したとき、嶺岸は種のことを忘れていた。倉庫の整理で古い牛乳瓶と一緒に見つけ、申し訳なさから名乗れないまま、咲いた分を一本ずつ届けていた。

「忘れていた春でも、遅くないでしょうか」

嶺岸は、最初の年は芽が出ず、二年目は鳩に食べられたことまで白状した。匿名だったのは、忘れていた時間ごと依央に渡す勇気がなかったからだ。

依央は瓶を受け取った。祖母の部屋はまだ、他人の家を借りているように感じる夜があった。けれど花の薄い香りには、子どもの頃にここで飲んだ甘い牛乳の記憶が混じっていた。

その晩、隣の久世にもらったクッキーを一枚、花の前でかじった。

「おばあちゃん、ちゃんと四階まで来たよ」