地下の避難所
天井が落ちた音のあと、赤いヘルメットの男が私を見つけた。
「動けますか。余震が来る前に避難所へ」
差し出された手は温かく、私は泣きながら握った。停電した廊下を抜け、非常階段を下り、男が開けた鉄扉の奥へ入る。地下の小部屋には簡易ベッド、水、缶詰、発電機までそろっていた。
助かったと思った。
ただ、男のヘルメットについた白い粉は、崩れた壁の粉にしては甘い匂いがした。小麦粉のようだった。
もう一つ、机のラジオは同じニュースを繰り返した。
『市内では強い揺れが観測され――』
アナウンサーは毎回、まったく同じ場所で咳をした。
「放送が録音みたい」
私が言うと、男は発電機の調子だと答えた。携帯は預けるよう求められた。基地局を探して電池を消耗するからだという。靴も脱がされた。ガラス片で怪我をするから、と。
鉄扉には内側の取っ手がなかった。
「避難所って、ほかの人は?」
「別の区画にいる。感染症対策だ」
地震なのに感染症という言葉が気になったが、男は毛布を掛け、温かいスープを置いた。その親切さに、私は疑うことを恥じた。
食料棚の缶詰は銘柄がすべて黒いテープで隠され、非常用ランタンの電池は抜かれていた。洗面台の鏡だけは新品なのに、私が立つと男は布を掛けた。「割れると危険です」。余震は一度も来なかった。
壁には時計があった。秒針だけが外され、長針と短針は十一時十二分を指したまま。眠って起きても、同じ時刻だった。
男は一日に二度だけ現れた。だが朝食にも夕食にも同じ冷めたパンを置き、時刻を尋ねると「まだ危険だ」としか言わない。私は紙コップの縁へ爪で一本ずつ傷を付け、七本目まで数えた。
何日目か分からなくなった頃、天井の向こうで低い声がした。
『行方不明の女性を捜しています。近隣の方は――』
私の服装と年齢が読み上げられた。私は鉄扉を叩いた。
「ここ! ここにいます!」
男は走ってきてラジオの電源を抜いた。赤いヘルメットが床へ落ちる。白い粉が舞い、パン屋の屋号が現れた。
揺れなど一度もなかった。
「静かに。せっかく見つからない場所へ避難させたのに」
外の捜索車が遠ざかるまで、男は内側にない取っ手を握っていた。