地下酒庫に届いた春雨

春最初の雨が降った朝、グランデル侯爵家の地下酒庫へ濁流が流れ込んだ。

長兄ベレックは使用人へ桶を持たせたが、水は床石の継ぎ目から絶え間なく湧いた。百年物の葡萄酒が浮き、先祖の肖像が額縁ごと倒れる。屋敷の外では、雨樋も堀も正常だった。

「なぜ地下だけが沈む!」

老庭師は答えにくそうに天井を見た。

「ロシェラ様が、丘から来る地下水を毎朝ずらしておられました」

妹ロシェラの結界は、水を完全に止める強固な壁ではない。地中へ薄い面を斜めに差し込み、雨水を果樹園側の貯水池へ流すだけだった。家族は術の光すら見たことがない。だからベレックは、彼女を「何も守れない結界師」として実家から追い出した。

その最初の雨で、酒庫だけでなく台所の竈まで水に浸かった。祝宴は中止。客へ贈るはずの酒は泥の味になった。

丘の反対側では、同じ雨を見て村長ダニカが笑っていた。

ロシェラが畑の上へ幾筋もの結界を傾けると、山から落ちた水が細い水路へ分かれた。乾いていた段々畑へ均等に染み込み、苗は倒れず、貯水槽だけが満ちていく。

「堤を築く金がなくても、これなら村は洪水にも旱魃にも負けない」

「術を毎朝調整すれば、土を削らずに済みます」

「屋敷では地下へ隠していたそうだね。ここでは中央広場に工房を建てよう。皆に見える場所で働いておくれ」

村人が差し出した温かいパンを受け取ったとき、侯爵家の馬車が泥を跳ね上げて到着した。ずぶ濡れのベレックが降り、命令書を突き出す。

「酒庫が沈んだ。家名に泥を塗る前に戻って直せ。追放は取り消してやる」

ロシェラは命令書を開かず、村との雇用証へ封蝋を押した。

ベレックの背後では、使用人が泥水を掻き出しながらロシェラの名を呼んでいた。以前なら、その声に罪悪感を抱いて屋敷へ走っただろう。けれど村では、彼女が休む日の水量まで相談して水路を設計している。誰か一人の無償の我慢を前提にしない仕組みだった。幼い農夫が、流れ始めた水へ木の葉の舟を浮かべる。舟は畑を荒らさず、決めた水路だけを進んだ。ロシェラは、それこそ自分が守りたかった暮らしだと知った。

「侯爵家との契約は、追放の日に終了しています」