天井のおじさん

 田母神文乃の息子、律希には「天井のおじさん」という友だちがいた。

 四歳児の空想だと思っていた。

 おじさんは昼間、天井裏で眠り、夜になると換気口から律希の部屋をのぞく。パンの耳が好きで、スマートフォンを二台持ち、文乃の夫、恒生が出張の日だけ下へ降りてくるという。

「怖いことを言わないの」

「怖くないよ。ママが寝てるとき、髪を触るだけだもん」

 律希は無邪気に笑った。

 夫は、天井裏に人が入れる空間などないと言った。点検口を開けても、断熱材と細い配管しか見えない。

 それでも妙なことが続いた。

 朝になると台所のパンが一枚減り、夫の古いパーカーが洗濯籠へ戻っている。充電器には、見覚えのない端子の跡がついていた。

「おじさん、どこから入るの?」

 文乃が尋ねると、律希は寝室のクローゼットを指した。

「天井からじゃないよ。あそこから天井へ行くの」

 奥の衣装箱を動かすと、背板に人が通れるほどの穴があった。隣の空室へ続いているらしい。穴の縁には、新しい擦り傷と皮脂が残っていた。

 穴の向こうには、空のペットボトルと文乃の寝顔を印刷した写真も落ちていた。

 文乃は律希を連れ、警察へ相談しようとした。

 その日は夫が三日間の出張へ出たばかりだった。

 玄関で靴を履かせていると、律希が小声で言った。

「今日は出かけちゃだめだよ」

「どうして?」

「おじさんが、ママに見つかったら今度はずっと一緒に住めるって言ってた」

 文乃は息を止めた。

「いつ聞いたの?」

「今」

 律希は文乃の背後を見ていた。

「クローゼットの中で、静かにしてって指を立ててる」

 振り返らずに玄関扉を開けようとした。

 チェーンは掛けていないはずなのに、扉は数センチしか開かなかった。内側の金具へ、見覚えのない南京錠が取りつけられている。

 寝室から、床を踏む音がした。

 律希は安心したように笑った。

「大丈夫だよ、ママ。おじさん、今日はパパの代わりをするんだって」

 夫の古いパーカーの袖が、廊下の角からゆっくり現れた。