守らない最終電車

 上りの最終電車が来るまで、七分だった。

 水城八重は、ホームの端で磯部亮平と並んでいた。彼は明日から仙台支社へ移る。送別会の帰り、みんなと別れた途端、二人の間に三年前の話が戻ってきた。

「最後に、謝っておきたい」

「何を」

「海外研修のこと」

 八重は線路を見た。

 三年前、父の会社が倒産した。家族にも職場にも知られたくなくて、恋人だった亮平にだけ話した。翌週、上司から海外研修の辞退を勧められた。家族を支える時期だろう、と。

 伝えたのが亮平だと知った日に、八重は別れた。研修枠は別の社員へ移り、翌年、父の会社の整理は終わった。八重は家を支えられたし、海外へも行けなかった。どちらが正解だったかより、選べなかったことだけが残った。

「守りたかった」

 彼は当時も同じことを言った。

「守るためなら、秘密を話していいの?」

「いいとは思ってない」

「でも話した」

「君がロンドンへ行ったら、家のことを全部一人で抱えると思った」

「それを決めるのは私だった」

 発車案内が点滅する。あと四分。

 亮平は紙袋から小さな革の手帳を出した。八重が研修先で使うつもりで買い、別れ際に彼の部屋へ置いてきたものだ。

「捨てられなかった」

「私も、あなたの番号を捨てられなかったよ」

 言ってから、八重は唇を噛んだ。好きだと言えない理由は一つだけだった。亮平の優しさが、いつまた彼女の選択を奪うか分からない。

「今度は守らない」

 亮平が言った。

「それも勝手」

「じゃあ、どうすればいい」

 亮平の横顔には、答えを先回りしようとする癖がまだ残っていた。それでも口を挟まず待っている。その数秒を、八重は三年間ずっと欲しかった。

 電車のライトが遠くに見えた。

「聞いて」

「何を」

「私がどうしたいか。答えが気に入らなくても」

 扉が開き、乗客が流れ込む。亮平は乗らなければならない。乗れば、次に会える日も分からない。

「八重は、どうしたい?」

 初めて、彼は先に答えを置かなかった。

 八重は開いた扉を見た。それから手帳を受け取り、胸に抱えた。

「守ってほしかったんじゃない。選んだあと、隣にいてほしかった」

 発車ベルが鳴った。

 八重は乗らなかった。亮平も乗らないまま扉が閉じた。最終電車が去ったホームで、彼女はスマートフォンを開き、三年間解除できなかった着信拒否の印を外した。