将来は虫ではありません
進路希望票に〈県立農業高校・生物資源科〉と書いたら、家族会議が開かれた。
「普通科なら、あとで選び直せる」
母は資料を三冊並べた。
「虫で食べていけるのか」
父は大まじめに聞いた。
「将来、虫になるわけじゃないよ」
「それは分かってる」
「今の質問、分かってない人の質問だった」
祖父だけが笑った。
私は幼いころから昆虫が好きだった。標本を飾るより、なぜ同じ畑で虫が増える年と減る年があるのかを知りたかった。受粉する虫を守りながら、作物を食べる虫を減らす方法を学びたい。
「大学へ行ってからでもいいでしょう」
母は譲らない。
「高校から実習したい。畑も飼育室もある」
「親戚に聞かれたら、どう説明するの」
その一言で、会議が止まった。
「僕の将来より、親戚への説明のほうが大事?」
「違う。ただ、普通じゃない道が怖いの」
母は小さく言った。
祖父が昔の手帳を持ってきた。若いころ、鉄道の車掌試験を受けようとして、曾祖父に反対され、会計の仕事へ就いたことが書かれていた。
「後悔してる?」
私が尋ねると、祖父は首を振った。
「会計も面白かった。ただ、選ばなかった道を、選べなかった道にされたのは今も嫌だ」
翌週、家族で農業高校の説明会へ行った。
実習室で巨大なナナフシが母の袖へ乗った。母は声にならない悲鳴を上げ、父の背中へ隠れた。
「ほら、怖いでしょう」
「怖い。でも、この子が平気な顔で戻せる理由は知りたい」
母は先生へ、卒業後の進学先や実習内容を私より細かく質問した。父は害虫調査用の長靴を試着し、祖父は購買で昆虫クッキーを買って全員に断られた。
帰宅後、母は進路希望票の保護者欄へ署名した。
「まだ心配してるからね」
「心配のまま賛成していいの?」
「心配が消えるまで待ったら、出願が終わる」
父は横へ書き足した。
〈本人は虫になりません〉
「学校へ出す紙に書かないで!」
私は慌てて消した。
将来が決まったわけではない。
ただ、説明しやすい道ではなく、自分がもっと知りたいもののいる道を、第一志望にできた。