屋上トマトは備品ではない
甘利木律世の会社では、屋上への私物持ち込みが禁止されている。
それでも給水塔の陰には、欠けたマグカップに植えられたミニトマトが一株あった。
植えたのは同じ部署の後輩だった。昼休みのサラダから種を取り、冗談で土へ埋めたら芽が出たという。
「見つかったら撤去だね」
律世が言うと、後輩は肩を落とした。
その頃、後輩は長く付き合った恋人と別れたばかりで、昼休みになると一人で屋上へ来ていた。トマトの芽へ水をやる数分だけは、何も説明しなくてよかったらしい。
「これは私物じゃない」
律世はマグを見た。
「何ですか」
「自生した会社の緑化」
「マグに社名、入ってませんけど」
「旧備品」
二人はその設定を採用した。
施設担当者が点検へ来た日、律世は先に屋上へ上がった。
「この鉢、誰のです?」
「以前からありました」
嘘をつくと、給水塔の陰で後輩が息を殺している気配がした。
担当者は葉を一枚眺め、「水漏れだけ気をつけて」と言って去った。
それから水やりは交代制になった。
月水金は後輩、火木は律世。休日は雨に任せる。
曇りの日には葉の裏を見て、伸びすぎた茎を割り箸へ結んだ。
仕事では用件だけ話していた二人が、屋上では虫と風と土の乾きについて相談した。
七月、最初の実が赤くなった。
一個だけだったので、給湯室から果物ナイフを借り、半分に切った。
「会社備品を勝手に食べていいんですか」
後輩が訊く。
「福利厚生」
律世は小さい方を自分の掌へ載せた。
トマトは皮が固く、酸っぱかった。
それでも青い葉の匂いと、陽に温められた甘さが少しだけした。
「次はもっと赤くなるまで待ちましょう」
「次があるんだ」
「三個、育ってます」
後輩の声は、芽を植えた頃より明るかった。
秋の人事異動で、後輩は別の部署へ移った。
けれど昼休みには、ときどき屋上へ来た。
マグのトマトは終わりかけ、代わりに二人で小さなローズマリーを植えた。
施設担当者へは、やはり「前からありました」と言った。
夕方、葉を指で擦ると、乾いた緑の香りが立った。
会社の備品ではなく、どちらか一人の所有物でもない。
二人だけが由来を知っている小さな鉢は、給水塔の陰で、言葉にしにくかった季節を静かに育て続けていた。