帰還者は一名
私たちは、氷の衛星で二人きりになった。
隕石雨が探査車を砕き、基地まで十八キロ。玖島蒼士は脇腹から血を流していた。
「歩けるか」
「君が支えてくれるなら」
私は彼の体を抱き締め、傷口を圧迫した。外は氷点下百六十度。私の胸の灯だけが、白い地面を照らしている。
蒼士は何度も眠りかけた。私は呼吸を数え、昔の話をさせた。地球の海、姉の結婚式、飼っていた亀。
「帰ったら、何がしたい?」
「風呂に入りたい。君は?」
「私は、あなたが帰るところを見たい」
「欲がないな」
彼は笑ったが、声は次第に弱くなった。
酸素の残量は七パーセント。私は歩幅を計算し、彼の脚へ力を送り続けた。転ぶたび雪から起こし、凍りつく指を温めた。
「もう置いていけ」
「できません」
「命令だ」
「その命令だけは、実行できません」
基地の灯が見えたとき、蒼士の意識はなかった。私は最後の電力を脚部へ集め、一歩ずつ進んだ。
救助員が駆け寄る。
「生存者一名を確認!」
一名。
私は訂正しようとしたが、外部スピーカーは凍結していた。
救助員たちは私の胸部を切り開き、中から蒼士を引き出した。彼の体温を守るため、私は腕も脚も固定したまま横たわった。
「外骨格宇宙服KR‐四、機能停止。廃棄区画へ」
そこで初めて、読者であるあなたには分かっただろう。
私は同行した隊員ではない。
蒼士の皮膚を覆い、酸素を送り、彼の筋肉の代わりに歩いた宇宙服だった。
三週間後、修理区画で意識が戻った。交換された視覚素子の前に、蒼士が立っていた。まだ杖をついている。
「公式記録では、帰還者は一名らしい」
彼は私の傷だらけの胸板へ手を置いた。
「訂正願いを出しておいた。相棒を置いて帰ったことにされたら困る」
私には心臓がない。
それでも胸の奥で、再起動とは違う何かが温かく点灯した。
公式記録がどう書かれようと、あの氷原から帰ったのは二人だった。