床下の鐘

夜明けの円照寺で、修復中の梵鐘が石畳へ落ちていた。縁の下から、会計係の蓮見の右手だけが見える。鐘は九百キロ。起重機が来るまで遺体は一寸も動かせない。朝霧の中、鐘楼には鳴らされなかった鐘の影だけが揺れていた。

境内にいたのは住職の呉竹、鐘撞き役の左近、宮大工の楢橋だった。三人とも「古い綱が切れ、鐘が真下へ落ちた事故だ」と口をそろえた。蓮見は寺の修復費が水増しされていると訴えており、帳簿には三人それぞれの印がある。誰が告発を恐れたとしても不思議ではない。

呉竹は明け方の読経中だったと言い、左近は鐘を撞く前に庫裏へ湯を取りに行ったと言う。楢橋は夜明けまで鐘楼の梁を調べていたが、「落下の瞬間は背を向けていた」と述べた。三人の証言には穴があり、証言だけでは決められなかった。

私は鐘を持ち上げずに済む範囲だけを見た。余計な痕跡を数えず、手掛かりは三つに限った。

第一に、垂れ下がった綱の切り口は刃物で撫でたように平らで、引きちぎられた繊維の伸びがない。鐘の重量が掛かったまま切れた痕ではなかった。

第二に、鐘の縁の下には米糠の細い三日月が残り、修理小屋からそこまで二本の平行な擦り跡が続く。楢橋は、鐘を横へ移す木製ローラーに米糠を振っていた。

第三に、そのローラーの丸い跡が蓮見の血だまりを横切り、そのまま鐘の下へ消えている。しかも楢橋は、昨日の夕方にローラーをすべて修理小屋へ戻し、鍵も自分が持ったと証言していた。血が流れたあとに、彼の管理する道具で鐘が通ったのだ。

左近は青ざめ、呉竹は数珠を握った。楢橋だけが「誰にでも転がせる」と繰り返した。霧が晴れるにつれ、石畳の二本線はかえって濃く見えた。

鐘は落ちていない。蓮見を別の場所で殴って石畳へ横たえたあと、犯人は米糠をまぶしたローラーで鐘を水平に滑らせ、遺体を覆った。綱は重量を抜いた状態で切ったから、切り口に伸びがない。血をまたいだ車輪跡が「死後に鐘が動いた」という順序を決め、ローラーと小屋の鍵を管理しながら「すべて戻した」と嘘をついた楢橋だけが実行できる。動かせない鐘は、動かされた道筋を石畳へ正直に書き残していた。 事故という説明は、三つの痕跡すべてに逆らっていた。