弔意不足

鳥飼遼馬は毎朝、洗面台の鏡に手首を向け、感情スコアを確かめる。数字で自分の調子を見るのは、天気予報を見るのと同じくらい生活に溶け込んでいた。

弟・彬の葬儀の日も、鏡の隅に「平静度八十八」と表示された。黒いネクタイを結び直しても、数字は動かなかった。

式場の入口には、参列認証用の細いゲートがあった。見物目的の侵入を防ぐため、故人への悲嘆が四十以上なければ通れない。

遼馬は黒い袖を整え、手首をかざした。

「悲嘆値十二。弔意不足」

ゲートは開かなかった。

係員が困った顔で端末を見る。

「ご関係は?」

「兄です」

「ご遺族でも判定は同じです。最近は配信目的の親族もおりますので」

遼馬はもう一度かざした。十二。彬が工事現場から落ちたと聞いた瞬間から、頭の中は真っ白だった。涙も出ない。腹も立たない。昨日、棺の中の顔を見ても、次に何をすればいいかしか考えられなかった。

スマートフォンには、事故の一時間前に届いた彬の留守番電話が残っている。「今度の日曜、飯おごって」と笑う十三秒を、遼馬は昨夜から二十七回聞いた。再生するたびに回数だけは増えたが、悲嘆値は一度も上がらなかった。

「弟が中にいるんです」

「その認識に伴う悲嘆が確認できません」

背後で小さく息をのむ音がした。彬の元恋人、美緒だった。別れるとき、彼の連絡先をすべて消した女だ。

彼女が手首を置く。

「悲嘆値七十六。弔意を確認しました」

ゲートが静かに開いた。

美緒は入らず、遼馬を振り返った。

「私、あの人を捨てたから」

それは悲しみではなく罪悪感だ、と遼馬は思った。だが機械にとって、胸を締めつける感情は同じ色らしい。

「一緒に入れないか、聞いてみる」

「いい。行ってやって」

遼馬は香典袋を彼女に渡した。指は震えていなかった。

扉が閉まり、焼香の匂いだけが廊下へ流れてきた。中から椅子を引く音がし、幼い頃、彬が食卓でいつも隣の椅子を蹴っていたことを思い出した。そこで初めて胸の奥が崩れた。

表示は三十九まで上がった。

あと一つ足りないまま、読経が始まった。