怖くないお化け
砥上蒼士は、驚くほどお化け役に向いていなかった。
二年一組の迷路型お化け屋敷で、蒼士の担当はロッカーから飛び出す生徒の亡霊だった。白塗りの顔、破れた制服、血糊まで完璧なのに、彼が出ると客は必ず笑った。
「失礼じゃない?」
「だって砥上、出る前に『すみません』って言うから」
「ぶつかったら危ないだろ」
「亡霊は安全確認しないの」
午前中だけで二十七組を笑わせた。隣の教室からは本物の悲鳴が聞こえ、呼び込みは「あちらは怖い、こちらは優しい」と宣伝文句まで変えた。
蒼士は悔しかった。
昼休み、ロッカーの中で一人、飛び出し方を練習した。勢い、角度、声。クラスメートの助言どおり、謝らない。顔も笑わない。
午後一番の客が入ってくる。
足音が近づく。蒼士は息を止め、取っ手へ手をかけた。合図の鈴が鳴る。
扉を蹴るように開けた。
「返せえええ!」
客は悲鳴も上げず、蒼士を見つめた。
教頭先生だった。
しかも後ろには、学校見学に来たらしい小学生が十人並んでいる。
静寂の中、蒼士の血糊が顎から一滴落ちた。
「何を返してほしいんですか」と教頭が訊いた。
「……青春です」
「それは先生も返してほしい」
小学生たちが吹き出した。
教頭まで笑ったので、蒼士も耐えられなかった。ロッカーにもたれ、白塗りの顔のまま笑う。後ろで音響係が怖い効果音を流し続けていたが、もう誰も聞いていなかった。
その回から、蒼士の亡霊には設定がついた。
文化祭に参加できなかったことを恨み、客へ青春を返せと迫る、妙に礼儀正しい幽霊。蒼士が飛び出すたび、客は先に「返せません」と答えた。中には「半分なら」と交渉する人までいた。
閉場前、最初に笑ったクラスメートが一人で迷路へ入ってきた。
鈴が鳴る。
蒼士は勢いよく扉を開けた。
「青春を返せ!」
彼女は驚かず、紙コップを差し出した。
「代わりに、ラムネ」
「交渉成立」
ロッカーの中で二人、ぬるいラムネを飲んだ。
その年のお化け屋敷は、怖さでは隣のクラスに負けた。けれど文化祭後の投票で、「もう一度会いたいお化け」一位になった。
蒼士は賞状より、教頭先生の真顔と、暗いロッカーの中で弾けたラムネの泡をよく覚えている。