改札までの三分
「改札まででいいよ」
高城依子は、三輪野侑生に送られるたびそう言った。二人の家は別々の路線で、改札を挟めば互いの生活へ踏み込みすぎずに済む。大学時代から七年、誕生日も失恋も転職も知っているのに、恋人という言葉だけを避けてきた。
その夜、依子は大阪への転勤を告げた。来週から三年間。居酒屋を出た時点で、侑生の終電まで十五分しかなかった。
「よかったじゃん。希望してた部署だろ」
「うん」
「向こうでも、すぐ友達できるよ」
欲しかったのは、友達の増やし方ではなかった。けれど引き止められたら困るのも本当だった。ようやく得た仕事を、誰かのために手放したくはない。
改札前の時計は二十三時五十七分。侑生の電車まで三分。
「じゃあ、ここで」
依子が手を振ると、侑生は改札へ入らず、券売機で入場券を一枚買った。
「何してるの。ホームまで来たら、間に合わないよ」
「三分ある」
階段を上り、終電のドアが開く。侑生は依子を乗せるのではなく、自分の定期券と入場券を重ねて彼女の掌へ置いた。定期入れには、翌月の大阪行き新幹線の予約票が挟まっていた。
「毎月は無理でも、最初の土曜は行く」
「友達を励ましに?」
侑生は答えず、依子のスマホを指さした。届いた予定への招待は《依子の新しい街を一緒に歩く》。参加者名は《侑生》だけで、肩書きも言い訳もない。
依子は承諾を押し、電車へ乗り込む。閉まりかけたドアの外へ手を伸ばすと、侑生がつかんだ。駅員の笛が鳴る直前まで、二人は離さなかった。
「依子」
初めて名前だけで呼ばれ、依子は泣く代わりに笑った。
車窓の外で侑生の姿が小さくなっても、依子のスマホには次の待ち合わせが残った。大阪の店を三つ共有すると、すぐに《全部行こう》と返事が来る。離れることを決めた夜に、二人は初めて、離れたあとの暮らしへ互いの席を作った。
「来月、改札までじゃ足りないからね」
電車が動き出す。三分は短かった。それでも、ただの友達だった七年を、次に会う二人へ変えるには十分だった。