救助順位、二番
【高架歩道崩落事故・救助活動記録】
要救助者A、七歳。意識混濁、出血多量。
要救助者B、春日井稀世、二十九歳。意識清明、右脚挟圧。
救助責任者・下平亜門は、Aを第一順位と判断。
B救出は十九分後。右脚に後遺障害。
稀世は退院の日、記録の写しを病院の喫茶室へ持ってきた。
向かいには、事故当時の恋人だった亜門が座っている。
「何度読んでも、正しい判断ね」
「やめてくれ」
「子どもは助かった。私は歩ける。あなたは表彰された」
「やめろ」
亜門は事故以来、毎日見舞いに来た。リハビリの予定を覚え、階段のない店を探し、彼女が転びそうになるたび腕を伸ばした。けれど一度も、あの日のことを話さなかった。
稀世は記録の一文を指でなぞった。
「私、あなたが先にあの子へ行ったとき、名前を呼んだ」
「聞こえていた」
「振り返らなかった」
「振り返ったら、君を先に助けた」
亜門の声が震えた。
「あの子は今すぐ処置しなければ死んだ。君は十九分待てると判断した。救助隊員としては同じことをする。何度でも」
「恋人としては?」
「君を選びたかった」
稀世は目を閉じた。
その答えをずっと欲しがり、同時に聞くことを恐れていた。
「別れよう」
「事故のせいか」
「事故のあと、私はあなたを見るたび、正しい順位で二番にされた自分へ戻る。あなたは私を見るたび、一瞬だけ間違いたかった自分へ戻る」
「時間が経てば」
「忘れるの?」
「忘れない。でも」
「私も忘れない。だから責められないまま一緒にいるのが苦しいの」
亜門はテーブルの下で拳を握った。
「正しいことをしたのに、君を失うのか」
「正しいことをしたから、嫌いになれないまま失うの」
二人は会計を別々に払った。
出口の段差で、亜門は反射的に手を出しかけ、途中で止めた。
稀世は杖をつき、自分で越えた。
後日、正式な事故報告書には追記が加えられた。
〈救助順位は、人間の価値の順位を示すものではない〉
それは正しい。
だが稀世の胸には、十九分という数字が残った。
亜門の胸には、振り返らなかった一秒が残った。
事故で壊れたのは高架だけではなかった。
それでも二人は、壊れた恋を誰かの命と引き換えだったとは、最後まで呼ばなかった。