既読は脈拍ではありません
母が一人暮らしを続ける条件として、三人の子どもは家族用の連絡画面を作った。
毎朝七時までに、母が〈おはよう〉と送る。
届かなければ電話。
電話にも出なければ、近所の人へ確認を頼む。
初日は六時五十八分。
〈母:おはよう〉
〈長男:確認〉
〈長女:確認〉
〈次男:確認〉
三日目、母は猫の絵だけ送った。
〈長女:文字もお願いします〉
〈母:猫は起きている〉
〈次男:母も起きている?〉
〈母:猫が送信できると思う?〉
一週間後、午前八時になっても何も届かなかった。
三人は仕事を抜け、別々の駅から実家へ向かった。玄関は施錠され、電話は室内で鳴っている。
長男が救急車を呼ぼうとしたとき、母が自転車で帰ってきた。前籠には大根が三本入っていた。
「朝市へ行ってただけ」
「連絡してよ!」
「携帯を充電したまま忘れた」
「倒れてると思ったんだよ」
母は三人の顔を見回した。
「あなたたちは、私が生きているかだけ確認して、安心したら一日終わりなの?」
誰も答えられなかった。
「既読は脈拍ではありません」
その夜、母が新しい規則を入力した。
〈毎朝の義務連絡は廃止〉
〈一日一回、誰かが今日あったことを一つ送る〉
〈返事がなくても十二時間は騒がない〉
〈急病時の連絡先は冷蔵庫に掲示〉
翌朝、長女が通勤電車から曇った窓の写真を送った。
〈今日、富士山が見えない〉
次男は焦げたトースト。
〈失敗〉
長男は会議室の空椅子。
〈帰りたい〉
昼過ぎ、母から大根の煮物が届いた。
〈三本買った。多すぎた〉
それから画面には、生存確認より無駄なことが増えた。母の昼寝、孫の靴下、長男の愚痴、次男の寝癖。
母が返信しない日もある。そんな日は、規則どおり待つ。夜になれば電話をするが、最初に「無事?」ではなく、「今日は何してた?」と聞く。
母も子どもたちへ同じことを聞く。
年を取った親を見守ることは、見張ることではなかった。
互いの一日を少しずつ見せ合い、助けが必要なときだけ、画面の外へ迎えに行ける関係を続けることだった。