旧校舎飼育日誌
【三月二十四日】
波々伯部小学校、閉校。児童十一名。
理科室のメダカ二十八匹について、引き取り先なし。
用務員・榑林宗市、自宅へ持ち帰る。
【四月二日】
水槽を縁側へ設置。
学校の名札を捨てるのが惜しく、児童十一名の名を一枚ずつ鉢に貼った。
メダカの数とは合わないが、問題なし。
宗市は、それから毎日、大学ノートへ記録した。水温、餌、卵の数。ときどき「一番小さいのが大きいのを追い払った。六年生の背の高い子に似る」などと、誰にも見せない感想を書いた。
閉校した学校は翌年に取り壊された。卒業生たちは町を出て、宗市の家を訪ねる者も減った。それでも夏になると、十一枚の名札の下で、何代目かのメダカが泳いだ。
【八月十六日】
盆。杷璃から葉書。看護師になったとのこと。
稚魚四十三。増えすぎ。
【一月九日】
右手がうまく動かず、餌をこぼす。
水槽係を募集したいが、募集方法がわからない。
そのページを最後に、日誌は途切れた。
宗市が倒れたと聞き、最初に家へ駆けつけたのは、かつて一年生だった杷璃だった。縁側には十一の鉢が並び、名札は日に焼けていた。自分の名の鉢だけ、水が少し減っていた。
彼女は写真を撮り、同級生の連絡網へ送った。
《水槽係、十一人いるはずです》
翌週、北海道から餌が届いた。大阪から水草が届き、海外にいる者は自動給餌器を注文した。近くに住む者が曜日ごとに水を替えた。皆が久しぶりに、互いを下の名前で呼んだ。
退院した宗市は、縁側に十一人が並んでいるのを見て、玄関で立ち尽くした。
「学校は、もうないぞ」
杷璃は日誌を返した。
「ありますよ。先生が勝手に持って帰っただけです」
「わしは用務員だ」
「私たちには、水槽の先生でした」
その年の夏、元児童十一人は、宗市の家で小さな同窓会を開いた。乾杯の代わりに、それぞれ一鉢ずつ水を足した。
日誌の新しいページには、十一種類の筆跡が並んだ。
【八月十二日】
水温二十五度。全鉢異常なし。
水槽係・十一名、再就任。
先生一名も、元気。
メダカは文字を読まない。
けれど彼らの泳ぐ小さな水面だけが、なくなった学校の出席簿を、毎朝そっと開いていた。