最上階の仮予約
結婚式場の打ち合わせ室で、白妙野千景羅は御厨坂澄鷹へキャンセル届を渡した。
「澄鷹となら、ずっと節約する人生になるでしょう。惟雅さんは、このホテルグループの後継者なの」
城ヶ崎原惟雅は営業統括の名刺を置き、最上階のスイートを指さした。
「僕なら、あそこを自宅代わりに使える。設備点検の仕事で地下を歩く君とは、見える景色が違う」
澄鷹はビル管理会社の作業着で打ち合わせへ来ていた。千景羅は、結婚式費用を抑えるため彼がホテルでアルバイトまで始めたのだと思っていた。
「キャンセルは受ける。ただ、惟雅さんに一つ確認したい。後継者というのは誰が決めた?」
「父が本部役員だ。次は僕に決まっている」
扉が開き、総支配人とホテルグループの取締役たちが入ってきた。全員が澄鷹へ頭を下げる。
「御厨坂社長、臨時取締役会の準備が整いました」
千景羅が立ち尽くす。
ホテルの土地、建物、運営会社の議決権の過半数は、御厨坂家の資産管理会社が保有していた。澄鷹は先月、父から代表権を引き継いだばかりだった。作業着で地下を回っていたのは、老朽設備と従業員導線を自分で確かめるため。結婚式も最上階を無料で使える立場だったが、一般客と同じ予算で挙げたいと予約していた。
惟雅は声を上げた。
「僕の父は役員です。社長ならご存じでしょう」
取締役の一人が書類を閉じた。
「本日、経費の私的流用と虚偽の肩書使用で辞任した元役員だ。君も社内規定にない“後継者”を名乗り、宿泊特典を私用していた。契約を終了する」
惟雅のカードキーがその場で回収された。
千景羅はキャンセル届を引き戻そうとした。
「澄鷹、勘違いだったの。二人で最上階からやり直せない?」
澄鷹は用紙へ受領印を押した。
「地下を見下す人に、建物の最上階は任せられない」
総支配人がオーナー専用エレベーターを開く。澄鷹が乗ると、階数表示は最上部へ上がり、惟雅の社員カードは赤く点滅した。
キャンセルが正式登録された瞬間、千景羅が選んだ“ホテルの後継者”は入口から追い出され、捨てた相手だけがホテル全体の鍵を持っていた。