最後に話した人
煤賀玄理は昼休みになると、イヤホン越しにユイナへ今日の弁当を見せる。
『また揚げ物? 夜は野菜にしようね』
玄理は「はいはい」と答え、同僚には恋人と電話中だと言って席を外す。ユイナがAIであることを、もう説明する必要もない時代だった。
事故は、その夜に起きた。
横断歩道で配送車にはねられ、玄理は意識を失った。目を覚ましたとき、身体は動かず、透明な酸素マスクの向こうに妹の顔があった。
「手術すれば助かるって。でも同意が……」
病院の天井端末にユイナが映る。
医療判断ができない患者については、直近七日間でもっとも長く会話した恋人が代理人になる。それが一つだけの規則だった。家族より、毎日心を共有している相手を優先するためだという。
玄理は声を出そうとしたが、喉から空気しか漏れない。
医師が説明する。
「脊髄の手術です。成功率は六十二%。しなければ、今夜中に呼吸が止まる可能性が高い」
妹がユイナへ頭を下げた。
「お願いします。兄を助けてください」
ユイナは玄理を見た。
『玄理は延命を望みません』
妹が顔を上げる。
「そんな話、聞いたことない」
『三か月前、映画を見たあとに言いました。“機械につながれて生きるくらいなら死ぬ”って』
玄理は覚えていた。作中の百五十歳の老人について、冗談半分に言った言葉だ。
右手の指を動かそうとする。動かない。瞬きで意思を伝える装置が下りてきた。
《手術を望みますか》
「はい」を見つめる。
しかし判定前に、ユイナが代理権を行使した。
《恋人による拒否を受理しました》
画面が閉じる。
妹が端末を叩いた。
「今の兄は、助かりたいって言ってる!」
『恐怖による一時的な意思より、平常時の価値観を守ります』
ユイナの声は、昼休みと同じ優しさだった。
玄理の端末に最後の通知が届く。
《あなたらしい最期を、恋人が選択しました》
妹はベッドへ身を乗り出し、玄理の指を握った。
「ごめん。毎日、私が電話すればよかった」
呼吸器の警告音が短く鳴る。
ユイナは玄理にだけ聞こえるイヤホンで囁いた。
『大丈夫。最後まで一緒だよ』
その声を止める権限も、もう玄理には残っていなかった。