月豹は香水を嫌う

月豹セレネは王妃の守護獣でありながら、王妃を含めて誰にも触れさせなかった。

夜会の日には銀青の毛を逆立て、香水を振りかけようとした侍女長の袖を裂いた。魔術師たちは「血に飢えた兆候だ」と結界を張り、処分まで口にした。

洗濯係のエルシェは、替えの卓布を抱えて柱の陰にいた。恐ろしいはずの月豹は、牙を見せながら何度も鼻を床へこすりつけている。目の縁も赤く、涙で濡れていた。

その夜会用の香水には、月豹が嫌う銀百合の精油が入っている。洗濯場で原液をこぼした者が一晩くしゃみを止められなかったほど強い品だ。

「怒っているのではなく、つらいのでは」

エルシェが言うと、侍女長は青ざめた顔で命じた。

「なら、あなたが確かめなさい」

彼女は水差しと無香料の布だけを持って結界へ入った。セレネの瞳が細くなる。爪が大理石を削った。

エルシェは香水の染みた手袋を外し、両手を水で洗ってから座った。

「匂いのない手です。嗅ぐだけでかまいません」

差し出した指先に、冷たい鼻が一度触れた。次の瞬間、月豹は激しくくしゃみをし、威厳も何もなく尻もちをつく。

エルシェは笑わず、濡らした布で鼻先と目元をそっと拭いた。さらに首元の飾り布を外すと、香水を吸った布の下で皮膚が赤く腫れていた。冷水で何度も洗い流すうち、荒い呼吸がゆっくりになる。

王妃は、自分の好みを守護獣へ押しつけていたことに初めて気づいた。香水の使用を禁じ、エルシェを専属世話役にするとその場で告げる。

侍女長が異議を唱える前に、セレネは仰向けになり、決して見せなかった淡銀の腹をエルシェへさらした。胸元に月形の契約印が浮かび、同じ光が彼女の掌にも咲く。

香水を付けないエルシェを「田舎臭い」と笑っていた侍女たちは、王妃が自ら香りのない衣装へ着替えると黙り込んだ。セレネは宝石を散らした専用寝台には戻らず、エルシェの洗濯籠へ前足をかける。王妃は笑って、その古い籠ごと月豹の新しい寝床にするよう命じた。

撫でると、細い毛の下で鼓動が穏やかに返った。膝へ落ちてきた豹の頭は夜気より温かく、満月を丸ごと預かったようにずっしりしていた。