朝六時、同じ月
宵山郁実の部屋では、窓の外がまだ夜だった。
ポルトガルの古い工房で陶器を学び始めて二年。福岡にいる砂原諒と話せるのは、彼が出勤する朝六時と、郁実が眠る前の二十二時が重なる十五分だけだった。
画面の向こうで、諒がネクタイを結んでいる。郁実のマグカップからはミントティーの湯気が上がり、諒の窓には朝日が差していた。日付も光の色もずれているのに、彼が髪を整える順番だけは毎朝同じだった。
「契約、延ばすんだって?」
共通の友人から聞いたらしい。郁実はベッドの端で膝を抱えた。
「うん。あと一年」
「そっか」
「眠いから、今日はもう切るね」
郁実はいつも先にそう言った。寂しいと言えば、自分で選んだ留学を彼のせいにしてしまいそうだった。残ってほしいと言わなかった諒に、待っている苦しさまで背負わせるのはずるい。
「まだ五分あるよ」
「もう寝たいの」
「昨日もそう言った」
「昨日も眠かったから」
諒は結びかけのネクタイから手を離した。スマートフォンが洗面台に置かれ、画面が少し揺れる。
「郁実。俺が『帰ってきて』って言ったら困る?」
諒の朝の電車まで九分。郁実のスマートフォンの残量は六パーセント。どちらも逃げ道にはならなかった。
「困るよ」
「じゃあ言わない」
その素直さが、胸の奥に刺さった。
「諒は困らないの? 私があと一年、ここにいても」
「困る。でも、郁実が後悔するほうが嫌だ」
画面の隅に、通話終了までのバッテリー警告が出た。諒は笑って、いつものように言う。
「眠いなら寝な」
一度目は自分を守るために、二度目は彼を遠ざけるために使った言葉だった。
郁実は窓を開けた。向こうの空は朝で、こちらの空には細い月が残っている。遠いのに、同じものを見られる時間がほんの少しだけあった。
「眠いんじゃない」
「うん?」
「切りたくないだけ」
諒は何も答えなかった。代わりに、結びかけのネクタイをまたほどいた。
郁実は通話を切らないまま、翌朝六時のアラームを新しく設定した。名前はつけず、毎日繰り返す、を選んだ。