未来へ送らない音声
【音声遺言編集ログ・一件目】
久納誠臣:
「安西柚香、三十歳の誕生日おめでとう。三十路だからって落ち込むな。僕は二十九のままなので、永遠に年下です」
安西柚香:
「余命四か月の人が、十年後の嫌味を録音しないで」
誠臣は、死後に指定日へ音声を届けるサービスへ申し込んだ。
柚香の誕生日、転職した日、風邪をひいた日、再婚した日。
全部で三十七件。
「再婚祝いまで?」
「僕よりいい男なら祝う」
「悪い男なら?」
「呪う。音声だけで」
二人は笑いながら録音した。
病室より、以前二人で番組を作っていた小さなスタジオのほうが声がきれいに残るからだ。
【十二件目】
誠臣:
「今日は僕の命日です。墓参りは不要。花よりプリンを供えて、帰りに自分で食べてください」
柚香:
「命日まで先回りしないで」
録音が増えるほど、柚香は安心した。
彼がいなくなったあとも、声だけは決まった日に帰ってくる。
喧嘩の続きも、季節の話も、未来の自分は一人でしなくて済む。
ところが三か月目、サービス画面から全件が消えた。
「削除したの?」
「した」
「どうして」
「君が、来年の予定を全部僕の音声に合わせ始めたから」
柚香は仕事の面接日をずらし、誠臣の誕生日を一人で祝う店を予約していた。
彼の声が届く未来を、すでに彼のために空け始めていた。
「残してほしいって言ったでしょう」
「今の君は言った。五年後の君は言ってない」
「五年後だって私よ」
「五年後の君に、死んだ僕が毎回『まだ好きでいて』と割り込むのは違う」
柚香は怒って、マイクを切った。
「勝手に消えるくせに、勝手に忘れろって言わないで」
「忘れろとは言ってない」
「同じだよ」
「違う。思い出す日を、僕が指定したくないんだ」
最後の録音は、配信予約をしなかった。
二人は向かい合い、一度だけ生放送のように話した。
誠臣:
「柚香。さようなら」
柚香:
「まだ三週間ある」
誠臣:
「だから、元気な声で言える」
柚香:
「嫌い」
誠臣:
「知ってる」
柚香:
「好き」
誠臣:
「それも知ってる」
録音終了。
誠臣は二十一日後に亡くなった。
翌年の誕生日、柚香の端末は静かだった。
待っていた自分に気づき、しばらく泣いた。
それから引き出しの奥の録音機を取り出す。
最後の音声は、配信される未来を持たない一件だけだった。
再生すると、二人が黙った十二秒のあと、誠臣の小さな声が入っていた。
「聞きたい日に聞いて。聞かない日も、君の日だから」
柚香はそこで停止した。
続きを聞くのは、来年でも、二度と聞かなくてもよかった。
彼の声が未来を決めないことが、最後に彼から渡された自由だった。