本番では、噛まないで
「好きです。付き合ってください」
「硬い」
「告白に柔らかさって必要?」
「必要。焼きたてのパンくらい」
「じゃあ、好きでふ。付き合ってくだふぁい」
「噛んで柔らかくするな」
放送部の部室で、仁田歌帆は机を叩いて笑った。柴崎徹平は台本で顔を隠す。
卒業記念のラジオドラマ。その告白場面だけ、十九回録り直していた。
「徹平、相手の目を見て言って」
「マイクしかない」
「私を相手役だと思えばいいでしょ」
「それが一番難しいんだよ」
「何か言った?」
「音量確認」
二十回目。
歌帆はマイクの向こうで、ふざけずに待った。
徹平は息を吸う。
「三年間、ずっと――」
廊下から顧問が顔を出した。
「仁田、迎えが来たぞ。空港まで混むらしい」
歌帆の引っ越しは、その日の夜だった。父親の仕事で、海の向こうへ行く。知っていたのに、徹平は今日まで、ドラマの台詞を借りれば言えると思っていた。
「続き、録らないの?」
「向こうでも編集できるだろ」
「本番は?」
「これは練習だから」
「十九回も?」
「慎重派なんだよ」
歌帆は少しだけ笑った。
「じゃあ柴崎君。本番では、噛まないでね」
扉が閉まった。
徹平は録音ボタンが点いたままだと気づいた。今なら追いかけられる。廊下に出て名前を呼べる。
代わりに、誰もいない椅子へ向かって言った。
「三年間、ずっと歌帆が好きだった」
完璧だった。焼きたてのパンより柔らかく、どこにも噛まなかった。
卒業式の日、完成したドラマが校内放送で流れた。
告白場面には、別の部員の声が使われていた。
徹平は歌帆に音源を送らなかった。送信欄に彼女の名前を入れては消し、結局、録音データを「take20_失敗」と名づけた。
それから七年後。徹平はラジオ局で、恋愛相談の番組を担当している。
毎週、知らない誰かに「言わない後悔より、言う後悔ですよ」と勧める。
放送が終わると、古いデータを一度だけ再生する。
〈三年間、ずっと歌帆が好きだった〉
その直後、小さく椅子の軋む音がある。
さらに音量を上げると、扉の外から、泣き笑いの声が聞こえる。
〈遅いよ、ばか〉
歌帆は、まだ廊下にいたのだ。
徹平は七年目にして初めて気づき、けれど今度も、再生ボタンから指を離せなかった。