正午までの「俺だ」

午前十一時五十五分、鍋島岳人は共同創業者の前へ黒い万年筆を置いた。

壁のモニターには〈特許出願まで残り五分〉。出願されれば、二人の会社は数十億円の評価を得る。社員四十八人には、出願完了を前提にした賞与と新オフィスが約束されていた。失敗すれば翌月の給与も危うい。

岳人は言った。

「基幹コードを持ち出したのは俺だ」

共同創業者は万年筆を止めた。

「今、それを言うのか」

正午。出願ボタンが自動で押され、サーバーが白く瞬いた。次に岳人が目を開けると、時計は十一時五十五分へ戻っていた。

盗んだコードには、五分間の状態を復元する未公開機能があった。権利者の署名なしに特許化しようとすると、出願直前へ巻き戻る。終了条件は、共同創業者が出願撤回書へ署名すること。

二周目、岳人は事情を説明した。前職で冷遇され、自分が設計したものを持ち出したのだと。

「基幹コードを持ち出したのは俺だ」

「つまり、会社を守るために会社を犯罪者にした?」

署名は得られなかった。

五周目、岳人は持株の全譲渡を申し出た。七周目には土下座した。十周目、相手は撤回書へ手を伸ばしたが、直前で止めた。

「これに署名したら、おまえだけが悪かったことになる」

岳人は初めて、万年筆の先が震えているのを見た。相手もまた、盗品だと気づきながら投資家へ黙っていた。

十二周目。岳人は撤回書を出さなかった。代わりに配信端末を起動し、投資家、社員、元の権利者へ同時接続した。

「基幹コードを持ち出したのは俺だ」

同じ告白を、今度は全員へ向けた。続けてソースを公開リポジトリへ放流し、権利を誰も独占できない形にした。

共同創業者が万年筆を投げた。

「会社が終わるぞ」

「俺たちが始めた形では、終わらせる」

正午。評価額の表示がゼロへ落ちた。自動出願は対象を失い、時計の秒針は十二時一分へ進んだ。

巻き戻らなかった。

机の向こうで、共同創業者は何も許さなかった。岳人も、それを求めずに配信の終了ボタンを押した。