母がいない日曜日

 母が再婚したのは、私が十一歳のときだった。

 新しい夫を、私は一度も父と呼ばなかった。彼も呼ばせようとはしなかった。授業参観には来たが教室の後ろに立ち、卒業式では母より少し離れて写真に入った。

 それでも、私が熱を出せば桃の缶詰を買い、就職で家を出る日には、頼んでもいない棚を作ってくれた。

 母が亡くなると、私たちの間を結んでいたものが急になくなった。

 葬儀のあと、伯母が言った。

「これからは、あちらも一人で気楽でしょう。あなたも無理に行き来しなくていいのよ」

 私もそう思おうとした。

 月命日だけ連絡し、やがて季節の挨拶だけになった。彼から届く返信は短かった。

〈こちらは元気です〉

〈庭の椿が咲きました〉

〈鍵はそのまま使えます〉

 三年後、私は子どもを産んだ。

 退院した日の夜、抱いても泣きやまない赤ん坊を前に、母ならどうしただろうと考えた。次に浮かんだのは、幼い私を不器用に抱き、家の中を何周も歩いた彼の背中だった。

 翌日、赤ん坊を連れて実家へ行った。

 鍵は本当に替わっていなかった。居間には私の卒業写真が残り、棚には母の遺影と並んで、私が送った赤ん坊の写真が置かれていた。

「急に来てごめん」

「家に入るのに謝るな」

 彼は赤ん坊を抱くのを怖がった。手を洗い直し、座布団を三枚重ね、ようやく腕へ受け取った。

「この子には、おじいちゃんがいないの」

 私が言うと、彼は顔を上げた。

「生まれたばかりで、もう決めるのか」

「お願いしてもいい?」

 彼は赤ん坊を見つめた。

「父親になれた覚えもないのに、順番を飛ばしていいのか」

 胸の奥に、十一歳から置いたままの言葉があった。

「じゃあ、先に父さんになって」

 彼の腕の中で、赤ん坊が泣きやんだ。

「ずいぶん遅い採用だな」

「待たせた?」

「いや」

 彼は目元を拭かずに笑った。

「家族なら、待ったことにはならない」

 母のいない最初の日曜日、私たちは三人で食卓を囲んだ。

 母がいなくなっても残った関係を、その日初めて、失敗ではなく家族と呼べた。