母の九百九十八点

室崎琴枝の母は、九百九十八点で死んだ。

市から届いた弔意通知には、「模範的生涯」と金文字で記されていた。信号無視なし、税の遅延なし、近隣苦情なし。葬儀では区長が、母を「共同体の良心」と呼んだ。

高得点者の遺族には、信用遺産が分配される。琴枝が相続承認を押せば、母の余剰点三百が加算され、念願だった都心住宅の抽選にも通るはずだった。

ただし承認前に、行動履歴を確認する義務がある。

三十年分の記録を流し読みしていた琴枝は、一件の通報を見つけた。対象者は、十九歳で家を出た兄だった。父の治療費を工面するため無許可の夜勤をし、税を滞納した兄を、母自身が「家族信用への脅威」として届け出ていた。

兄は矯正区へ移され、その後、消息不明になった。母は琴枝に「勝手に逃げた」とだけ言っていた。

葬儀の翌日、相続担当AIが尋ねた。

《被相続人の行動は、当時の制度に照らして適正です。承認しますか》

琴枝は母の遺影を見た。写真の母は、祝い事のたびに着た紺の服で、欠点のない微笑みを浮かべていた。その笑顔を守るために、家族から一人を切り離したのだ。

「承認しません」

《拒否すると、虚偽の家族申告を黙認した責任が遺族に継承されます》

琴枝の点は四百以上落ちた。住宅抽選は失格、勤め先では機密区画への入室権を失った。それでも彼女は、通報記録に残る移送先をたどった。

兄は海沿いの低信用区で、壊れた家電を直して暮らしていた。白髪が増え、母によく似た目をしていた。

「何しに来た」

琴枝は、母が謝っていたとは言えなかった。最後まで兄の名を呼ばなかったからだ。

「私が、今まで聞かなかったことを謝りに来た」

兄は長く黙り、店の奥から欠けた椅子を出した。

その日、琴枝の端末には低信用者との長時間接触が記録された。さらに点が下がった。

けれど兄が淹れた薄い茶を飲みながら、琴枝は、生まれて初めて母の点ではなく、自分の選択で家族の席に座った。

都心の自動扉は閉じたが、兄の店の戸は、琴枝の手で何度でも開けられた。