沼風を煮込む鍋

ミレザを捨てた〈白銀の槍〉が最初に失敗したのは、魔獣との戦いですらなかった。

沼地へ入って半刻。槍使いホルツが吐き、続いて弓手が膝をついた。薄緑の霧を吸った肺が焼けるように痛み、視界がぐらつく。

「解毒薬を出せ!」

薬は飲んだ。だが誰も立てなかった。

昨夜までなら、沼へ入る朝には必ず苦い香草粥が出た。全員が「泥みたいな味だ」と文句を言い、料理人ミレザは黙って蜂蜜を一滴だけ落としていた。粥に使われていた葦根は毒を消す薬ではない。肺の粘膜を厚くし、沼の瘴気を身体へ入りにくくする食材だった。

薬は侵された後に飲むもの。あの粥は、侵される前に食べるもの。

それを知る者は、追放された。

ホルツは葦根を生のまま噛ませた。苦味に耐えた仲間はさらに吐き、喉を傷めた。根の毒気は二度ゆでこぼし、蜂蜜で成分を結んで初めて薬膳になる。彼らが簡単だと思っていた一椀には、火加減と時間まで含まれていた。

同じ朝、ミレザは水上交易船の厨房にいた。船員たちは沼を渡ってきたのに、一人も咳をしていない。船長は空になった粥椀を掲げた。

「今まで瘴気休みで一日潰していた。あんたの朝飯なら、今日中に二つ先の港へ着ける」

賃金だけでなく、到着ごとの歩合まで提示された。船員の一人は苦い顔をしながらも椀を差し出した。

「まずい。でも明日も頼む」

その言葉が、ミレザには最高の評価だった。効き目を理解した上で、必要だと言われたのだから。

夕方、ホルツの使い魔が船へ舞い降りた。羽に結ばれた紙には、命令口調の文字が並んでいた。

『沼の料理だけ作りに戻れ。戦闘には参加させない。名誉な配慮だと思え』

ミレザは新しい船員証を胸元へ留めた。鍋から立つ苦い湯気を、沼風がさらっていく。

「船長、返信用の紙を一枚」

彼女は一行だけ書き、使い魔の足へ結んだ。

『白銀の槍との料理契約は、私を沼へ置き去りにした時点で終了しました』