湯気の向こうの死亡時刻

雪灯籠祭りの夜、老舗旅館「白梢」の主人、伏見原惣一が離れの檜風呂で死んでいた。発見は午後九時十分。後頭部に一撃を受け、湯の中へ沈んでいる。医師は湯温と遺体の温かさから、死亡を八時二十分から四十分の間と見た。

その時間、娘の黒江真琴は祭りの舞台で挨拶をし、料理長の藤代嘉門は屋台厨房の中継映像に映り続け、経理の杷木章吾は商店会長と寄付金を数えていた。三人とも百人以上に見られている。祭りの太鼓は旅館まで届いていたが、離れは雪の庭の奥にあり、人目を避けて戻る道もない。離れの鍵は旅館関係者なら誰でも使えたが、八時台に戻った者はいない。

惣一は当日、真琴には旅館を継がせないと告げ、藤代には仕入れ水増しを問いただし、杷木には帳簿の再提出を命じていた。三人の言葉は険しかった。それでもアリバイだけは、崩しようがなかった。

現場から拾える手掛かりは三つだった。第一に、肺には湯を吸い込んだ跡がなく、惣一は浴槽へ入る前に死んでいた。第二に、風呂の自動保温は午後七時五分に開始され、その後一度も切られていない。第三に、肩の下に隠れていた血の筋は乾いてひび割れ、熱い湯へ長く浸した布のように縁だけが薄くなっていた。

祭りへ向かった時刻を確かめると、真琴は六時半、藤代は六時五十分から映像に残る。杷木は「七時二十分に商店会へ着いた」と認めた。惣一が最後に生きているのを見たのも、七時前に帳場を出た杷木だった。

「死亡時刻を遅らせたのは、湯そのものです」私は杷木に言った。「惣一さんは七時ごろ殴られ、すでに死んだ状態で浴槽へ入れられた。七時五分から保温された湯が遺体を温め続けたため、八時台に死んだように見えたのです。肺の状態と乾いた血が、それを否定している。真琴さんと藤代さんは犯行前から人前にいた。七時まで離れに残り、帳場を出てから祭りへ向かったあなたにだけ、本当の死亡時刻の空白があります。八時台の完璧なアリバイは、七時の殺人を隠すための湯気だったのです」