烏が返す鍵
工場の裏で、烏の脚へ絡んだ針金を切ったことがある。
烏は人の手を何度もつつき、血を出させてから飛び去った。助けたというより、喧嘩をした記憶に近い。
十五年後、男のベランダへ黒い外套の青年が降り立った。
髪は濡れた羽のようで、唇には銀色の鍵をくわえている。
「返し物」
鍵は、子どもの頃に兄と使った工具箱の物だった。
実家の修理工場を継いだ兄とは、父の遺産を巡って口をきいていない。
青年には一つ決まりがあった。
持ち主が本当はまだ開けたい扉の鍵しか、拾ってこられない。
「工具箱なんか開けたくない」
青年は首を傾げた。
「なら、これはただの光るごみ」
そう言って、鍵をくわえ直した。
男は奪い取った。
工具箱は、売却予定の工場に残っていた。夜、忍び込むと、兄が一人で機械を片づけていた。
「何しに来た」
「工具箱を取りに」
「お前のじゃない」
昔と同じ喧嘩が始まりかけた。
鍵を差す。
箱の中には、父の工具ではなく、兄弟が小学生の頃に作った木の車が二台入っていた。一台は車輪が欠け、もう一台は赤く塗りすぎている。
兄が笑った。
「まだあったのか」
男も、笑ってよいのか迷った。
箱の底に、工場の裏口の鍵があった。
父が亡くしたと思って、二人で何度も探した物だ。
窓の外で烏が鳴く。
黒い青年はもういない。
兄は工場を閉めるつもりだった。借金があり、続けるほど損が増える。
男は、兄が工場を独り占めしたと思い込み、手伝いを断った。兄も、弟が会社員として成功したことを妬み、相談しなかった。
「この鍵、まだ使えるかな」
男が言う。
兄は裏口を指した。
「開けたいなら試せ」
錆びた鍵は回らなかった。
二人で油を差し、工具を替え、夜明けまで格闘した。最後には鍵が折れた。
扉は、蝶番を外して開けた。
工場は予定どおり売った。
兄弟で借金を整理し、父の工具の一部だけを地域の修理教室へ寄付した。
木の車は一台ずつ持ち帰った。
黒い青年は二度と来ない。
ベランダへ烏が光る物を落とすたび、男は拾って確かめる。
鍵でない物ばかりだ。
開けたい扉は、必ず鍵で開くとは限らない。
それでも、開けたいと認めたときだけ、壊れた鍵の向こうへ手を伸ばせる。